【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 知識と同じぐらい大切な場所――老いや別れに備えるために 枝廣祐充子 2026年10月1日

「親なきあと」という言葉を聞くと、障がいのある子どもを持つ親の問題だと思われるかもしれません。しかし、お寺と教会の親なきあと相談室源光寺支部(広島県三次市)の「親あるあいだの語らいカフェ」でさまざまな方のお話を聞いていると、これは私たち一人ひとりに関わる問題なのだと感じます。
私は広島県福山市で行政書士をしており、開業時から「親なきあと」の問題に取り組んできました。また、3人の子どものうち長男にはダウン症があり、私にとってこの問題は、仕事である以前に自分自身の問題でもあります。
カフェで皆さんの話を聞いていると、専門家と相談者という関係だけでは見えてこないものがあります。障がいのある子どもの将来を心配する親、自分の老後を考える人、家族の介護に向き合う人。事情は違っても、その根底には「自分ができなくなった時、この先どうなるのだろう」「誰に頼ればよいのだろう」という共通の不安があります。
私自身、長男の介助をする中で大切だと感じているのは、一人で抱え込まないことです。
家族だけで一人の生活を支え続けることには限界があります。福祉サービスを利用し、周囲の力を借りながら、本人と家族それぞれの生活を大切にする。親が元気なうちから家族以外とのつながりをつくることは、「親なきあと」への備えであると同時に、今をより良く暮らすことにもつながります。
一方で、人とのつながりだけですべてを解決できるわけではありません。
どれほど「この人のために何とかしたい」という思いがあっても、法律上必要な手続きを越えることはできません。現実の支援には費用も必要で、善意やボランティアだけで全てを担うことにも限界があります。

知識が得られ、語り合える場所としてさまざまな人々が集う源光寺=広島県三次市
だからこそ、制度や法律を知り、自分に必要な準備を見極めることが大切です。源光寺支部の講演会では、現場を知る講師から具体的な知識を得ることができます。
そして、カフェに参加して改めて感じるのは、知識と同じくらい「語り合える場所」が大切だということです。誰かの話を聞いて自分にも同じ不安があると気づき、自分の経験が誰かの役に立つ。
そこでは「支える人」と「支えられる人」がいつも同じとは限りません。ある時は支える側になり、ある時は支えてもらう側になる。その関係が重なれば、人と人との「和」が生まれるのではないでしょうか。
お寺や教会には、もともと「祈り」があります。立場や事情が違っても、誰かの幸せや安らぎを願い、互いに心を寄せる。その祈りが人と人をつなぎ、違いを超えて「和」を育んでいくのだと思います。
「親なきあと」は特別な家庭だけの問題ではありません。老いや家族との別れは誰にも訪れます。だからこそ、親の「あるあいだ」に人とつながり、知識を得て、語り合う。そこで生まれた小さなつながりが、いつか誰かの暮らしを支える大きな「輪」になっていくのではないか。皆さんのお話を聞きながら、そんなことを考えています。
えだひろ・ゆみこ 行政書士、宅地建物取引士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。ダウン症のある長男の生活を支えながら仕事との両立を図り、家族みんながより良い人生を送れるよう日々模索している。
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