「寛容と利他」で分断を超える 日キ教会 靖国神社問題全国協議会で松谷満氏が若者の左派離れを分析 2026年10月13日

日本キリスト教会(中家契介大会議長)大会靖国神社問題特別委員会主催の「2026年度靖国神社問題全国協議会」が10月13日、大森教会(東京都大田区)で開かれ、中京大学教授で政治社会学を専門とする松谷満氏が「平和・人権・正義――リベラリズムはなぜ若者に届かないのか」と題して講演した。各種世論調査をもとに、若年層、とりわけ大卒男性の間で左派・リベラル政党への嫌悪感が強まる背景を分析し、キリスト者に求められる「寛容」と「利他」を問いかけた。
松谷氏はまず、リベラリズムを個人の自由や権利を重視する立場と説明。信教や言論の自由だけでなく、国家や多数派、慣習からの自由、差別によって自由を制約されないことも含まれるとした。ただし「平和」「正義」はリベラリズム固有の価値ではなく、反戦・平和主義は日本の左派・リベラル勢力に特徴的な歴史的背景を持つという。
その対極にある右派・権威主義も一枚岩ではない。著書『「右派市民」と日本政治』(朝日新聞出版)を踏まえ、愛国、伝統、排外、反左派という傾向は必ずしも同一人物に重ならず、4類型すべてに該当する人は調査で0.2%にとどまると紹介した。一つ以上に当てはまる人は約2割。再軍備を支持しながら首相の靖国神社参拝に反対した渡辺恒雄氏を例示。左派・リベラル側も一枚岩ではなく、教会内にも政治的な意見の違いがあると述べた。
さらに右派的な主張を経済的な「弱者」「敗者」の不満だけで説明する見方にも疑問を呈した。愛国主義には大卒男性や自営業者、伝統主義には高齢者、排外主義には生活上の不満や相談相手の不在、反左派には比較的若い大卒男性やネット利用の多さなど、それぞれ異なる特徴がある。過激な主張の背後にも、その人なりの「正しさ」や、社会・経済・安全保障上の「脅威」から安心を得たいという意識があると指摘した。一方で、こうした人々は教会内にも存在すると述べ、相手を理解することと主張に同意することは別だと強調した。
では、なぜリベラリズムは若者に届かないのか。松谷氏は「そもそも日本社会に根付いていないのではないか」と問い直した。外国人への偏見や排外的な意識は最近突然生まれたものではなく、1985年の新聞記事や「世界価値観調査」からも、日本社会に長く存在してきた閉鎖性がうかがえるという。「移民や外国人労働者は近所に住んでほしくない」といった設問では、欧米諸国と比べて強い拒否感が示されていると説明。近年の右派政党やネットによる扇動だけに原因を求める見方に疑問を呈した。
ただし、左派・リベラル勢力への嫌悪感が若い世代で強まっているのは近年の顕著な変化だ。提示した調査では、立憲民主党と共産党を嫌う若年大卒男性の割合は2025年に45%に達した。松谷氏は、原発推進や安全保障強化を支持する意識に加え、インターネットへの接触が多いことを背景に挙げた。かつて一定の信頼を集めたマスメディアや学術的権威の影響力が弱まり、左派への批判に接する機会が増えた可能性も示した。「今後も原子力発電を利用していくべきだ」への賛成から反対を差し引いた値は、2013年のマイナス33ポイントから2025年にはプラス26ポイントに転じた。
一方、自由や寛容、多様性は若者にも広く共有されているという。問題は、身内や民族、国家を優先する主張まで「多様な意見」として認めるべきだとされ、普遍的な人権の尊重と混同される「ねじれ」にある。外国人の権利を求めれば「日本人を軽視している」と反論され、特定集団の優遇を批判すれば「多様な意見を否定するのか」と問い返される状況を例に挙げた。
最後に松谷氏は、政治学者フランシス・フクヤマが重視する「寛容」と、思想史家ヘレナ・ローゼンブラットがリベラリズムの源流に見出す献身や助け合いの「利他」を紹介。マタイによる福音書5章44節の「敵を愛し、迫害する者のために祈る」という教えにも触れ、「誰とでも安易に対話できるわけではなく、差別的な主張に譲歩する必要もないが、相手を過度に『悪魔化』せず、共感はできなくても背景を理解しようとすることはできる」と提起した。
靖国神社をめぐる対立を論じた東畑開人氏の文章も引用し、意見を異にする相手とも「一緒に居たい」という思いがあれば、新たな道が始まるとの希望を共有した。
















