【信仰の入口から世界へ】 「共感」の原点 山田真人(NPO法人せいぼ代表理事) 2026年2月21日

 東京都北区赤羽にあるカトリック赤羽教会=写真下=で、初聖体を受けてすぐの小学校2年生から侍者をしていました。人前で自分の与えられた仕事をするのは、とても緊張しましたが、ミサ後「まことくんがいるから、ミサができるんだよ!」と言ってくださる神父様の優しい言葉で、自己肯定感が上がり、誰かのために与えらえた仕事を果たす充実感を、神様の前で覚えました。

 以上のことによって、私は祭壇の上が最も効果的な職業訓練と祈りを体験する教育の場として適しているのではないかという仮説を、中学2年生の時に立て、侍者会と呼ばれるチームを作りました。こうした経験が、NPOという社会的ミッションを持ち、同時に経済を動かしていく事業に関心を持った原体験だと感じています。

 前回、チャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』を通して、貧困が単なる欠乏ではなく「尊厳や選択肢が奪われる構造」であることを学んだと書きました。私にとって、この学びは「かわいそう」という感情を強めたというより、「何が奪われているのか」を見抜く視点を与えてくれました。そしてもう一つ、『チャリティの帝国』が示していたのは、支援が人を助ける一方で、支援する側/される側が固定化されてしまう危険です。つまり共感とは、「助けたい」という気持ちだけで完結するのではなく、関係性をどう作るかという問いまで含んでいるのだと思います。

 日本ではNPOに対する誤解が少なくないのが事実です。NPO(Non Profit Organization)のため、「利益を求めてはいけない」「自己犠牲」「ボランティア」というイメージがありますが、その理解だとせっかくの世界の現状への共感が継続する仕組みを構築できません。自分が他者のために犠牲になってしまっては、一緒に長期的に生きていくことができません。そのため、NPOは社会的な目的のために優先的にお金を使うために、多くの利益を創出して良いですし、ある意味で一般企業以上にミッションに燃えて利益を出していくべきです。

 こうした気持ちを維持していくために多くの人ができることは、本を読むことと、ボランティアにも通じる、侍者のように人前で活動する他者のための活動だと考えています。ディケンズのように、英国の産業革命の中で取り残されてしまった貧困層の人々のことを知るのも小説を通してです。

 一方で、同時代に生きたカトリックの聖人も多くいます。例えば、ドン・ボスコは19世紀のイタリア統一の時代に、男の子たちを救い、祈りと労働を教えました。彼の伝記やそれを原作とした映画を見ることで、カトリックの精神と同時に社会にどのようにその霊性を還元すべきかを学ぶことにもなりました。

 今回は、侍者の経験と文学から得た共感の重要性についてでした。次回は、侍者と共感を行動に起こすことができる人々の教育について、考えていきます。

 やまだ・まこと 上智大学卒業後、英国通信事業社Mobellで勤務。2019年より現職。2024年、マラウイ産コーヒーでソーシャルプロダクツアワードを受賞。カトリック教育学会会員。バチカン「信徒、家庭、いのちの部署」国際青年諮問機関、カトリック赤羽教会所属。

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘