【宗教リテラシー向上委員会】 移住者の死と弔い 荻 翔一 2026年3月11日

千葉の実家に帰省した折、母から「死んだあとは海に骨を撒いてほしい」と切り出された。今年還暦を迎え、ジム通いを趣味としている母はまだまだ若いと思っていただけに、正直面食らった。聞けば、かつて折り合いの悪かった義父と同じ墓に入るのを避けたいという事情、そして若き日の趣味だったダイビングの思い出が海への散骨を望む動機だという。特に反対する理由もないので、万が一の時は母の希望に沿って弔いたいと考えている。
しかし、この「最期の願い」を叶えることが構造的に困難になりやすい人々がいる。故郷を離れ、異郷の地で生きる移住者たちだ。昨今、在日ムスリムの人々の土葬墓地不足が報じられ、移住者の死や弔いをめぐる問題が社会的に認知されるようになったように思う。だがこの問題は今に始まったことではなく、実は過去から連綿と続いている。例えば、戦前から戦後にかけて日本に渡ってきた在日コリアン1世の中には、最終的に祖国に戻ることを切望しながらも、果たせなかった人々が多くいた。彼ら/彼女らはどのように弔われたのだろうか。
朝鮮半島では元来、火葬を忌避する観念が強く、韓国では1990年代まで土葬が主流だった。そのため、かつて在日コリアンの中には、「生葬(センジャン)」といって、火葬をせずに遺体をそのまま本国に運び埋葬する者もいたという。しかし、それは決して容易ではなかった。移送費などの経済的な問題だけでなく、本国で墓を管理してくれる親戚の有無、日本に残る家族の墓参りのしやすさなど、さまざまな要因が交錯した結果、多くの人は日本での火葬を選択した。そして寺院(クリスチャンであれば教会)に遺骨を預けるか納骨する、もしくは郊外などに墓を建てることが一般化していった。

UnsplashのNoah Sillimanが撮影した写真
一方で、死者の中には、自らの死後の行方を考える間もなく命を落とした人々がいることも忘れてはならない。その代表例が、関東大震災時の虐殺や劣悪な労働現場での事故死・病死、アジア・太平洋戦争による死者たちだ。彼ら/彼女らの死は日本にとって「負の歴史」であるため、不可視化されやすい。加えて、死者の意思が基本的に不在の状況であり、遺族の特定さえ困難な場合もある。
そうした中で、その死と記憶を、記録・継承する取り組みが民間の手によって早くからなされてきた。例えば、関東大震災の朝鮮人虐殺については、半世紀以上前から同胞の歴史家や民族団体、あるいは日本の宗教者を含む市民らによって遺骨調査、証言の記録、慰霊祭・追悼式の開催などが実施され、死者たちの尊厳をつなぎとめてきた。なお、移住者の尊厳を脅かす構造は、現代でも技能実習生や入管収容者の死という形で、今も私たちの目の前に厳然として存在している。こうした理不尽な死がなかったことにされぬよう、声を上げ、草の根で弔いを続ける人々もおり、その姿は先人たちの歩みと重なって見える。
在日外国人が増え続ける現代日本において、彼ら/彼女らの死や弔いは、私たちの日常のすぐ隣にある。移住者の「最期の願い」をどう聞き届けるか。そして、理不尽に奪われた命の重さをどう引き受けるか。ホスト社会に生きるマジョリティとして考えねばならない問題であり、過去の実践から学ぶべき点は多いように思う。

荻 翔一(宗教情報リサーチセンター研究員)
おぎ・しょういち 1989年千葉県生まれ。東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員(PD)。共著書に「高齢化問題に取り組む韓国系キリスト教会――大阪市・在日コリアン集住地域を事例に」高橋典史・白波瀬達也・星野壮編『現代日本の宗教と多文化共生――移民と地域社会の関係性を探る』(明石書店)。














