【映画評】 テクノロジーはより良い未来をつくるのか 『ARCO/アルコ』 2026年4月15日

2932年、地球は「休閑期」に入っており、人類は雲の上のプラットフォームで慎ましく暮らしている。10歳の少年アルコは禁を破って時間旅行に出掛けるが、うまく制御できず、2075年の地上に墜落。そこは深刻な環境破壊から人々が目を背け、その場かぎりの平穏にすがって生きる世界だった。偶然出会った少女イリスに助けられて帰還を試みるアルコだが、幾多の困難に見舞われる。
3DCGが主流となった現在では珍しい、全編手描きのアニメ映画。完成に5年を費やしている。素朴な人物造形と緻密な風景描写は、ウーゴ・ビヤンブニュ監督が影響を受けたと明言する宮崎駿の作風に通じる。自然とテクノロジーのせめぎ合いというテーマ設定もそうだ。しかしジブリ作品が概ねテクノロジーを否定的に描いてきたのに対して、ビヤンブニュ監督はあくまで肯定的に描く。テクノロジーの悪影響で環境が崩壊寸前の2075年も、その結果として「休閑期」に入った2932年も、人々の暮らしは(一部の選ばれた人々だけの暮らしだが)テクノロジーによって快適に守られている。
その楽観的とも取れる未来像について、ビヤンブニュ監督は語る。「現代は不確かで息苦しい。その延長としての〝悪い未来〟ばかりが描かれ続けた結果、現実がその一部をなぞってしまっている」。だから現実をより良くするために「より良い未来」を提示したい、というのだ。
なるほど2075年の地球は明らかに崩壊しかけているが、ほぼあらゆる労働を担うロボットたちはどこまでも人間に優しい。現在の対話型AIがそうであるように、感情を持っているかのように錯覚してしまう。約900年後の2932年にはロボットの姿がないが、雲の上の巨大プラットフォーム自体が、人間を優しく包み込んでいるかのように見える。テクノロジーの濫用が地球環境を破壊に追いやった一方で、同じテクノロジーが人間にとってどこまでも有用である、という矛盾が、無言のうちに提示されている。この二つの時代において、そのしわ寄せはどこへ行ったのだろうか。その判断は視聴者に委ねられている。
2932年の質素で慎ましやかな生活は、日本の伝統的なわびさび文化を彷彿させる。禁を破った時間旅行者アルコが最終的に受ける報いは、民話『浦島太郎』のそれに近い。日本の神話伝承で繰り返される「親殺し」のモチーフも(形を変えて)登場する。先に挙げた宮崎駿との類似点もあり、フランスの作品でありながら、日本の視聴者がなじみやすいものとなっている。
(ライター 河島文成)
4月24日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。
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