【この世界の片隅から】 1970年代以降における中国農村教会の再興・リバイバル・縮小 袁浩 2026年6月11日

1949年から70年代にかけて、中国政府による教会への制限・改造・消滅政策は、政策立案者たちの目的を達成することはなく、教会の存在形態を変えただけであった。すなわち、公開から秘密へ、「教派教会」から「脱教派教会」へ、聖職者主導から平信徒による教会指導へ、という変化である。
70年代初頭、中国政府は浙江省を中心に「無宗教」地域を推進する強硬な無神論的改造を実施した。しかし、政府当局がまったく予想していなかったことに、浙江省の温州や寧波、河南省の南陽、江蘇省北部、安徽省北部、さらに福建省厦門などの地域で、リバイバル運動が出現した。リバイバルの現れとしては、次のようなものがあった。信仰の弱っていた多くの古くからの信徒が霊的に再び目覚め、勇敢な福音宣教者にさえなった。また、多くの農村の人々がイエス・キリストを信じるようになり、さまざまな圧力や制限のもとでも秘密集会に参加した。集会の場所は家庭、荒野、あるいは山の丘であり、集会の時間は深夜や早朝、人々がみな眠っている時間であった。集会の進行と形式はきわめて簡素であり、何曲か賛美歌を歌い、誰かが手書き写本の聖書を朗読するというものだった。というのも、聖書のほとんどは当局によって焼却されていたからである。たとえ聖書箇所の意味を解説する人がいなくても、聖書本文そのものを聞くことが、大きな霊的満たしであった。その後、互いに執り成しの祈りをし、静かに集会を終えたのである。
つまり、農村教会の再興は、78年の改革開放政策によって始まったのではなく、むしろ、文化大革命後期にすでにこの福音の波は胎動し、大きなうねりを上げ始めていたのである。また、この再興の波は、中国の宗教政策の転換や相対的寛容によってのみ生じたものでもない。まさにその反対に、教会の存在と再興こそが、国家の宗教改造政策の失敗を宣告したのであり、国家は教会が家庭のなかに存在しているという事実を無視できなくなった。したがって、客観的には、文化大革命後期に始まったリバイバルが宗教政策の転換を促す一因となったのである。
80年代から90年代にかけて、中国の農村教会はさらに大規模なリバイバルを経験した。文化大革命後期から始まった教会は、80、90年代に入ってもその拡大の勢いを継続し、こうした農村教会のリバイバルは、山東省・山西省・河北省・江西省・福建省・東北三省(遼寧、吉林、黒竜江)などさらに多くの地域へと拡大した。例えば、山西省臨汾市に属する一つの県である蒲県(総人口は11万人)では、90年代初頭、県全体のキリスト者は数十人であったが、2000年代初頭には、県全体のキリスト者は1万人にまで増加した。

山東省の都市部と農村部に位置する農村教会
農村教会のリバイバルの原因を探る時、文献資料には限りがあるが、オーラル・ヒストリー(口述史)からは次の点が見えてくる。第一に、中華民国期の多くの伝道者と平信徒が、中国共産党や国家による30年にわたる弾圧を経験しても信仰を捨てず、むしろ信仰を奮い立たせ、農村教会リバイバルの重要な推進者となったことが挙げられる。例えば、1954年に上海霊修神学院を卒業した楊培滋は、20年にわたる投獄と労働改造農場での苦難を経験した後、85年に釈放されて以降、長年にわたり華北の家庭教会における聖書訓練に献身した。第二に、ペンテコステ主義を融合した根本主義(ファンダメンタリズム)が、農村教会リバイバルの重要な神学的基盤と霊的伝統となった。大リバイバルの時期には、聖霊の働きが特に顕著であり、聖霊による満たし、悔い改めと罪の告白、悪霊追い出しや病気の癒やしの奇跡などがしばしば見られた。そのため、農村の人々の改宗は、独立した個人という意味での改宗ではなく、しばしば一家の改宗であり、さらには一族の改宗であった。
第三に、空間的意味および血縁的意味での「家庭」が重要な役割を果たした。一方では、私的な家庭が信仰活動を行う重要な空間となり、通常の集会、主日集会、あるいは洗礼、伝道者・信徒訓練のいずれにおいてもそうであった。他方では、家庭や一族の改宗が農村教会発展の推進力となった。
第四に、家庭教会による地域横断・省横断的な福音宣教運動があった。国家は公認教会である三自愛国教会に対して、宗教活動を登録済みの場所に限定し、説教を許可証を持つ者に限定し、伝道者の活動範囲を担当区域内に限定するという制限を設ける「三定政策」を実施した。孫悟空が釈迦如来の手のひらから飛び出せないのと同じように、この政策もまた教会の宣教、とりわけ地域を跨ぐ宣教を大きく制限した。しかし、家庭教会は一つの県や一つの市から、他の省へ、さらには遠く離れた黒龍江省、新疆ウイグル自治区、青海省、雲南省などの地へと福音を伝え、複数の全国的な教会ネットワークを発展させていった。

北京郊外の農民工教会(2011年撮影)
90年代末から2000年代初頭にかけて、国家と市場が主導する都市化が急速に進行すると、この社会変動は農村教会に大きな影響を与えた。まず、多くの信徒が農村を離れて都市に入り、働くようになり、沿海部の多くの都市、すなわち北京・上海・広州・深圳・青島・厦門・武漢などで「農民工〔出稼ぎ労働者〕教会」を形成するようになり、都市における教会の類型は、より多様なものとなった。そのため、農村教会自体の発展は中断され、多くの教会では信徒が流出し、衰退期に入った。次に、都市における農民工教会は、あくまで過渡的な類型にすぎなかった。農民工信徒は、経済収入の少なさ、都市戸籍および市民的権利の欠如、とりわけ都市における生活費の上昇によって、大都市を次々に離れ、生活費のより低い小都市へ移動するか、あるいは彼らの故郷である農村へ回流していった。筆者が10年から14年にかけて北京で追跡調査した複数の農民工教会は、20年に再び連絡を取った時点では、その多くがすでに存在しなくなっており、教会指導者や信徒の多くは他の地域へ移動していた。
1970年代初頭から2020年までの50年間、農村教会は、小規模な再興から大規模な再興へ、さらには急速な縮小へという三つの段階を経験した。農村教会の発展史を全体として見れば、その再興とリバイバルは、政教関係上の対立による妨げを乗り越え、教会が客観的環境に依存するものではなく、教会それ自体の愛と真理が強い生命力を有していることを証ししている。他方で、都市化のもとでの農村教会の急速な縮小は、教会の発展が社会環境の制約を完全に免れることはできず、むしろそれによって深く影響を受けることを示している。
(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

袁浩
ユエン・ハオ 1980年生まれ、中国山東省出身。北京大学で修士号、香港中文大学で博士号(Ph.D.)を取得。現在、カナダ・バンクーバーのバプテスト福音教会の伝道師、トリニティ・ウエスタン大学に設けられているACTS(Associated Canadian Theological Schools)の中国語部の客員教授。専門は中国キリスト教史。














