詩画作家・星野富弘さんの「口」となり歌い継ぐ 岩渕まこと・由美子夫妻 17年ぶりのシリーズ新盤『キンセンカのうた』 2026年7月11日

二つの台風が接近する悪天候の中、客席は二人の歌声を心待ちにする人々で埋まった。6月27日、神奈川県相模原市の大野キリスト教会で開かれた、CD『キンセンカのうた』発売記念コンサート。詩画作家の故・星野富弘さんの詩に、シンガーソングライターの岩渕まことさんが曲を付け、妻の由美子さんと歌う「やさしさコラボレーション」第4弾の門出となった。
星野さんと共演する催しでは、なぜか雨や雪に見舞われることが多かったという。結果、付けられた座右の銘は「嵐を呼ぶ男」。岩渕夫妻が記憶する星野さんは、作品から想像されがちな、繊細で近寄りがたい「聖人君子」ではない。冗談やオヤジギャグを好み、飾らず、おおらかで、時に豪快な「普通のおっちゃん」の一面をのぞかせた。
2024年4月、78歳で召された星野さん。事故で手足の自由を失った後、口に筆をくわえて草花を描き、そこに詩を添えた作品は、世代や信仰の有無を越えて親しまれてきた。死後、初めて世に出る岩渕夫妻との共作CDが『キンセンカのうた』である。
パソコンに眠っていた未発表作
両者のコラボレーションは、第1作『ぺんぺん草のうた』(2007年)、第2作『日日草のうた』(08年)、第3作『サフランのうた』(09年)と続いた。今回は実に17年ぶりとなる。
再始動のきっかけは、星野さんの逝去1年を記念して25年5月、青山学院大学で開かれたメモリアルコンサートだった。準備の過程で「以前に作ったまま歌っていない曲はないか」と問われ、まことさんがパソコンの中を探すと数曲が見つかった。その一つ「冬の枝」はコンサートのテーマ曲となり、合唱と共に披露された。観客から大きな反響が寄せられ、「もう一度、星野さんの詩をアルバムにしよう」と計画が動き始める。
新作には、過去3枚に収録されなかった5曲に、新たに作曲した5曲を加えた。選曲と曲順を担ったのは由美子さん。星野さんの詩集を積み上げ、候補となる作品に付箋を貼り、すでに収録した作品を除きながら、1枚のアルバムとして物語が立ち上がる組み合わせを模索した。
由美子さんが「この詩にメロディーを付けてみて」と渡すと、まことさんから次々に曲が返ってきたという。「星野さんの詩には、すでに音楽がある。それを譜面にしているだけ」と語るまことさん。苦労して旋律をひねり出すというより、言葉の中に流れている歌を書き写す感覚に近い。

詩画集をめくるように
過去3作は、主にまことさん自身のバンドで音楽世界を作り上げた。今作ではポピュラー音楽の奏者に加え、クラシックを専門とする演奏家も参加した。1曲目と最終曲を弦楽四重奏の響きで包み、その内側にボサノバ風の曲や、歌声を前面に出した簡素な編成による曲などを配置した。曲ごとに風景が変わりながらも、全体は詩画集のページを1枚ずつめくるように進む。
打ち込みに挑戦した「麦の穂」では、あえて生演奏のように整えるのではなく、どこか不器用で、田舎の風景に風が吹くような素朴な質感を生かしたという。生演奏と電子音、クラシックとポピュラー。まことさんが近年大切にしているのは、分かれているものを結び付けることだ。「何かと何かを隔てる話はよく聞く。それなら、分かれているものを融合することで対抗できたらいい」。それは音楽上の方法にとどまらず、分断が深まる社会への、ささやかな意思表示にも聞こえる。
「力を抜いて」と語る詩
由美子さんが今作で自ら歌いたいと願ったのが「ニセアカシア」だった。花が余分な力を入れず、その重みのまま咲く姿を歌った詩。数年前、膵臓(すいぞう)がんを告知された由美子さん。当初、東京都内の病院でステージ4と診断され、手術はできず、抗がん剤治療しかないと告げられた。余命半年とも聞き、ステージへの復帰など思いも寄らなかった。
自宅近くに転院後、改めて検査した結果、転移は確認されず、抗がん剤治療によって腫瘍が小さくなり、手術が可能になった。術後も治療は続いたが、主治医は「歌うことを中心に今後の予定を組みましょう」と夫妻を励ました。
身体の治療だけでなく、精神腫瘍科にも支えられた。そこで担当医から、自身もクリスチャンだと明かされた時、由美子さんは「神様から『言ったでしょう。一緒にいるよ』と語りかけられたように感じた」と振り返る。
治療中、気分が沈み、何も手に付かなかった由美子さんに代わり、まことさんは炊事、洗濯、掃除を引き受けた。家の外まで掃きながら、心を保った。現在も食後の足裏のマッサージや、就寝前に体を温めるケアを続け、自らを「家庭内主治医」と称する。
不安を口にする由美子さんに、まことさんは「俺に任せておけ」と答える。「根拠はどこにあるの?」と聞かれても、ただ「任せておけばいい」と繰り返した。本来は豪胆なタイプではない。それでも、共に生きるには、自分が大きく構えるしかないと思った。由美子さんにとって「ニセアカシア」は、そんな時間を通った今だからこそ歌える、自らへの応援歌となった。
まことさんが星野作品の核心として挙げるのは、苦しみを美しい結論で覆わない正直さである。「何のために生きているのだろう」と、問いを問いのまま差し出す。希望を語る前に、迷いや弱さを隠さない。
同時に、星野作品には意外なほど多くの笑いがある。ラーメンや松茸を題材にした作品もあり、時にはコミックソングのような曲になる。人を笑わせながら、その奥で「自分の生き方を安売りしなくていい」「不器用さを誇りにしていい」と背中を押す。
まことさんは、それを「優しいだけではない、おおらかな優しさ」と表現する。花々を描く穏やかな詩画の奥には、戦争や死、人間の狂気を見据える鋭さもある。

提供=いのちのことば社
夫婦で歌う道を拓いた人
そもそも、岩渕夫妻が本格的に二人で歌うようになったのも、星野さんの提案によるものだった。星野さんは妻の昌子さんと二人三脚で作品を生み出してきた。それだけに、CDを作るなら岩渕夫妻も二人で歌ってほしいと求めた。それまで由美子さんは主にバックコーラスを務め、ソロで歌う機会はほとんどなかった。星野作品のCDが発表されると、「二人で歌いに来てほしい」という依頼が増えた。やがて夫妻での活動が中心となり、25年に発表したオリジナルアルバム『GARDEN』も、二人の共作として制作された。
まことさんは、20年前には星野さんの作品を通してその痛みを「分かったような気になっていた」と話す。今、由美子さんとの闘病を経て、星野さん自身も世を去ったことで、言葉は以前より深く迫ってくる。「歌っていることが、ある意味では富弘さんの手足になり、口になる。そんな役目でもあるのだと思うようになりました」
星野さんを直接知らない世代は、これからさらに増えていく。しかし、詩が歌になれば、思いがけない場所や時代で再び誰かの口に上る可能性がある。命も、歌う場所も、当たり前に続くものではない。
だからこそ、歌える時に歌う。与えられた機会を受け取り、自分たちにできることを続ける。『キンセンカのうた』は、おそらくシリーズ完結編となる。しかしそれは同時に、星野富弘という一人の詩人の声を次の世代へと手渡す新たな出発点でもある。
【CD情報】
星野富弘メモリアル記念作品『キンセンカのうた』
詩=星野富弘/作曲・歌=岩渕まこと/歌=岩渕由美子
発行・製造=いのちのことば社・ライフ・クリエイション
定価=3300円(税込)/商品番号=48959
〈収録曲〉
1.微笑み(キンセンカ)
2.ルリヤナギ
3.花よりも小さく
4.曇り空(ウツギ)
5.麦の穂
6.ニセアカシア
7.ふうちょうそう
8.椿
9.サヨウナラ(木の葉)
10.冬の枝(びわ)
全国のキリスト教書店、いのちのことば社公式オンラインショップなどで発売中。















