米神学者がキリスト者に提言「SNSをやめるべき」 2026年10月21日

 キリスト者はソーシャルメディア(SNS)との関係を根本から見直すべきではないか。米キリスト教誌「クリスチャニティ・トゥデイ」(CT)は9月24日、神学者ブラッド・イースト氏による論考「なぜキリスト者はSNSを削除すべきなのか」を掲載した。SNSがもたらす依存や精神的な悪影響を指摘し、一時的な利用制限ではなく、アカウントそのものを削除するよう呼びかけている。イースト氏は米アビリーン・クリスチャン大学の神学准教授。

 イースト氏は冒頭、SNSは利用者本人だけでなく、政治や社会、若者にとっても有害だと断言。フェイスブック、X、インスタグラム、ティックトックなど、いずれのプラットフォームも例外ではないと批判する。米国では政治的・宗教的立場を超えてSNSの弊害への懸念が広がっているとし、自身が教える大学生たちも依存を自覚し、助けを求めてくると紹介した。

 にもかかわらず、なぜ利用をやめられないのか。イースト氏は、使徒パウロがローマの信徒への手紙で語った、自分の望むことを行えず、かえって望まないことをしてしまう人間の矛盾(ローマ7:15)を引き合いに出す。ただし、キリスト者には弱い意志を理由に現状を容認する必要はないとも主張。神の霊が信じる者の内に宿るというパウロの教え(同8:9)に触れ、信仰生活とは単に罪を避けることではなく、命を豊かにするものを選び取ることだと説く。

 SNSを使い続ける理由として挙げられるのは、仕事上の必要、人間関係の維持、情報収集などだ。しかし、イースト氏はこうした説明が必ずしも十分な説得力を持たないと指摘する。利用時間の制限や生活習慣の改善だけでは、利用者の注意を引きつけるアルゴリズムに対抗できないという。

 自身もかつてはSNSの節度ある利用を正当化していたが、他人の生活をのぞき見する感覚や、際限なく情報を求め続ける衝動に嫌悪感を抱くようになったという。約5年前、アカウントを一時停止するのではなく完全に削除。それを人生で最も良い決断の一つだったと振り返る。

 その経験からイースト氏が強調するのは、SNSからの一時的な休息や「デジタルデトックス」ではなく、依存からの自由と解放だ。自分が優れた人格の持ち主だからSNSをやめたのではなく、むしろ自らの弱さを認めたからこそ、やめる必要があったと説明する。

 論考では、利用をやめられない理由として挙げられる五つの反論も検討している。現代社会でSNSなしに暮らすことは不可能だという主張に対しては、スマートフォンとSNSを区別し、後者がなくても日常生活は十分に成り立つと反論。娯楽としての楽しさについても、結果として有害ならば利用を正当化できないとする。また、ニュースを知るために必要だという理由には、信頼できる報道機関の記事を直接読む方が望ましいと勧める。

 さらに、SNSが人々の集まる場である以上、キリスト者もそこに身を置くべきだという意見にも異議を唱える。すべての人が利用しているために誰も離れられないと感じる「ネットワーク効果」が問題を深刻にしているとし、むしろキリスト者こそ、SNSから距離を置いた生活の平安や喜びを示すことで、社会に別の選択肢を提示できるのではないかと論じた。

 最後に取り上げるのが、「SNSの利用は罪ではない」という反論だ。イースト氏は、問うべきなのは罪に当たるかどうかではなく、それが本当に有益で、人を造り上げるものなのかという点だと強調する。

 根拠として引用するのは、パウロの「すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません」(Ⅰコリント10:23、聖書協会共同訳)という言葉だ。聖書がSNSを明示的に禁じていなくても、それが信仰者の人格を形成し、霊の実を結ぶことにつながるのかを吟味すべきだという。

 イースト氏は、SNSを利用しない人がその理由を説明するのではなく、利用する側こそ、その必要性や有益性を説明すべきだと主張。SNSを失うことによる喪失感はしばらく続くかもしれないが、やがて、その不在によって生まれた時間や心の余裕に感謝するようになるとして、今すぐ決断するよう促している。

(翻訳協力=中山信之)

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