「キリスト新聞」創刊60周年記念鼎談 世界の教会と日本のキリスト教 武田清子×濱尾文郎×西原廉太 2006年9月23日

 『キリスト新聞』創刊60周年を記念して、カトリックから、日本で5人目の枢機卿である濱尾文郎氏、プロテスタントから、日本で唯一、世界教会協議会(WCC)の会長(プレジデント)を務められた武田清子氏、聖公会から西原廉太氏を招き、エキュメニカルな視点から、世界の中で日本の教会が果たすべき役割などについて語っていただいた。

西原 よろしくお願いいたします。今日は、まさに日本におけるプロテスタントとカトリックの歴史を歩んでこられたお二方にお越しいただきました。それぞれのお立場で、世界から見た日本、日本から見た世界のキリスト教についてご示唆をいただければと思います。まずは、これまでのお働きの中から、エキュメニズムとのかかわりについてお話しいただけますか。

■世界のエキュメニズム

武田 わたしのエキュメニズムとの出会いは、1939年、アムステルダムで開かれた第1回世界キリスト教青年会議でした。戦争の危機に直面しながら、どうしても世界中の青年を集めたいという思いで開かれた会議です。わたしは神戸女学院の大学部3年だったのですが、日本のキリスト教の女子学生運動の委員長で、最年少の代表として参加しました。
 この会議が、諸教派から世界の青年が集った最初の集まりです。ナチズムが台頭する中、「キリストの勝利」をテーマに、1500人の青年が集まりました。当時、それは大変なことでした。その会議には非西欧社会からも多くの青年が参加したのですが、その参加者らにとってエキュメニズムは、非常に大きな問題を投げかけられるものであったと思います。
 エキュメニズムの運動は、もともと学生運動から始まったものです。キャンパスの中で、さまざまな教派の背景を持つクリスチャンが共に働く時、諸教派の一致がいかに必要かということが原点でした。その点で、キリスト教学生運動(SCM)は非常に重要な意味を持っていたと思います。
 エキュメニズムというのは、「教会はキリストの体である。一つの体であるはずの教会がばらばらに分かれているのは、神さまに対して申し訳ない」ということから呼びかけられ、共に聖書を学び語り合う実践を志してきました。ギリシャ正教は始めから加わっていました。カトリックとも、お互い熱心に対話を努めてきました。
 1951年、わたしは世界キリスト教学生連盟の招きで、半年間ジュネーブにいました。その時、1954年にエヴァンストンで開かれるWCC第2回総会の準備会にも出席しました。「イエス・キリストは世界の望み」というテーマを「終末論」の問題として考えようということで、バルト、ブルンナー、ニーバー、ニーメラーなど、25人の代表的な神学者が招かれていました。
 その会議では、「終末論」と歴史的現実問題をめぐって、激しい議論がたたかわされ、分裂しそうなぐらい対立しました。
 たまたまわたしはニーバーの弟子で、バルトも親しく存じ上げておりましたので、お二人にぜひ話をしてほしいと頼みますと、「清子が言うなら話そう」といって話してくださったのです。それが、その会議にとって大きな意味を持ったといわれました。

西原 武田先生が、ニーバーとバルトをコーディネートなさったわけですか。

武田 まあ、そうです。WCC総幹事のヴィサ・トゥーフトさんにも大変喜んでいただけました。エキュメニズムを考える上で、違った神学的立場の人たちが語り合い、遠慮なく批判し合い、ぶつかっても最後は和解していくという場面に立ち会えたことは、わたしにとって大きな意味があったと思います。
 ニーバーがユニオン神学校(大学院)の講義で、「西洋の歴史を見ると、ヘブライニズム(聖書的価値観)とヘレニズム(人間的価値観)の戦場であった」とし、両者がどうかかわりあってきたかをめぐる近代西洋思想史について語るのを聞き、わたしは日本文化とキリスト教がどのように出会うか、その出会い方を研究していきたいと思いました。その問題意識が、『人間観の相剋』を書くきっかけとなりました。
 神学というと難しいようですが、文化における人間観、歴史観、キリスト教と日本の土着の考え方の出会い方、「相剋」こそが、日本にとってのセオロジカルな問題ではないかと考えてきました。

濱尾 わたしはエキュメニズムに関して詳しくはありませんが、「移住・移動者司牧評議会」の議長になり、所属教会のない人々の問題に取り組む中で、他の宗教に接する機会が多くなりました。わたしはカトリック教会としか連絡を取れませんが、来る人々はいろいろな宗教を持っているわけです。以前は、カトリック信者の移動者の世話ばかりしていましたが、今はさまざまな宗教とかかわりを持っています。
 その意味では、バチカンの中で最もエキュメニカルに近い、諸宗教の対話の場にいると思っています。そのことがわたし自身にとっても、とても大きな意味がありました。
 いまやヨーロッパは、白人によるキリスト教の大陸ではなくなりました。それが、グローバリゼーションの一つの場にもなってきています。多民族、多国籍、多宗教の人々との出会いに、教会も貢献できるのではと思っています。
 ヨーロッパで思ったことは、プロテスタントの場合、ヨーロッパやアメリカで生まれたわけですから、アジアや日本のほうがエキュメニズムもよりスムーズにいくはずではないか、ということです。日本には創立者がいませんから、教派間の対立も、本来我々自体にはないわけですよ。ですから、そういった対話が日本でできればいいなと思いますね。
 代々の教皇もエキュメニズムにはとても関心があります。ヨハネ・パウロ2世は2000年3月に、キリスト教の分裂においてカトリックに大きな責任があると、公に神さまに謝りました。移民の問題、ユダヤ人の迫害、マイノリティの問題についても、カトリック教会の不十分さを謝罪しました。教会の中では、「教皇が謝っては困る」とだいぶ批判もありましたが、偉いと思いましたよ。わたし自身、大司教として少数民族に対する配慮を欠いたことを謝る祈祷文を書いたので、とても印象に残っています。

武田 1962~65年の第二バチカン公会議後、ヨハネ・パウロ2世が、十字軍、正教会、ユダヤ人などの問題についてもお詫びされたことは、大変すばらしいと思います。
 教会史において、ルターの宗教改革が分裂を起こしたわけですが、ルター生誕500年の時、ヨハネ・パウロ2世が「ルターは真の精神的改革者であった」とおっしゃった。そしてご自分でローマのルター教会に行って説教し、両教会が一つの共同体になることを願うと言われたことが、1999年に出された「義認の教理に関する共同宣言」につながったと思います。
 長年にわたって破門の徒であったルターの宗教改革をカトリック教会が認めたということは、非常に大きな意味を持つと思います。そういうことが、エキュメニズムの基本問題の一つではないでしょうか。

西原 聖公会とカトリック、カトリックとルーテル教会との間でも、さまざまな対話が成されています。近い将来一つの教会になることはないと思いますが、共に食卓を囲む「フルコミュニオン」を目指す歩みは、確実に進んでいると思います。
 特に60年代以降、プロテスタントでは世界の宣教論、神学が変わっていく大きな転換があり、同時にカトリックでも第二バチカン公会議がありました。世界的な時代の意識枠(パラダイム)の大きな変化だったように思えますね。第二バチカン公会議の意義については、どのようにお考えですか。

濱尾 教皇ヨハネ23世は、「カトリック教会が窓を開けて、世界と共に歩む教会になろう」とおっしゃいました。教会は、いつも上から教えて導くという姿勢が強すぎたのです。
 公会議の最後に出された「現代世界憲章」は、「現代人の喜びと苦しみ、悲しみと望みは、キリストの弟子である我々にとっても喜びと苦しみ、悲しみと望みである」という文章で始まっています。あれは大傑作だと思いますね。今まで特にカトリック教会は、そういう教え方をしてこなかった。
 もう一つ、神の国が教会よりも大切だということがとても重要なことだと思っています。教会が神の国なのではなく、教会は神の国を促進する道具となりしるしとなるというのが、「教会憲章」の冒頭に書いてあります。教会が主人公ではない。

西原 プロテスタントの中でも、「神の宣教」(ミッシオ・デイ)という概念が強調されるようになりました。神はまず世界に働かれるのであり、教会はその世界からアジェンダ(課題)をもらうのだ。そういう転換が、同じ60年代に起こったと思うのですが。

武田 1961年のニューデリー(WCC第3回総会)の時に、ロシア正教会が加盟したということは非常に大きな意味を持ちました。やがて冷戦が崩壊して、一つの世界を目指そうとする先駆けを、教会が担ったと思います。ですから、WCCの会議の中でも、それを大きな喜びを持って迎えました。

■アジアの中の日本

武田 それから、わたしはアジアとの関係を抜きに日本のキリスト教は語れないと思います。
 日本がまだフィリピンと国交を回復していなかった時代、たまたまフィリピンに立ち寄ったことがありました。現地の方々が丁重に家へ招いてくださり、戦争中日本軍が何をしたかということを詳しく教えてくれました。わたしはただ申し訳なく聞いていたのですが、最後に「よく黙って聞いていてくれた。人を憎んで生きるということは本当に苦しい。これから悪いことは言いません。一緒に行きましょう」と言って、モンテンルパーにある日本軍の捕虜収容所にわたしを案内してくれました。日本人が田舎に行くのは危ないということで、フィリピンの婦人たちがわたしの周りに随行してくださいました。それから、フィリピンとのつながりが深くなりました。
 1966年、友人のティン(丁光訓)司教らの招きで、革命後の中国を訪れたこともありました。革命後、中国のクリスチャンは家庭で礼拝をしていたといいます。1980年、わたしは最初に開かれた教会の集まりに出席したのですが、一日に3度礼拝をしても礼拝堂がいっぱいになるほどの人でした。皆がいかに教会に出ることを願っていたかということが分かりました。それ以来、中国とのつながりも深く持っております。
 同時にキリスト教だけでなく、中国で最も貧しく識字率も低い、寧夏(イスラム自治区)の女子教育を助ける運動を始めまして、わたしたちが里親になり、女性の教員養成を支援するなど、他宗教の人たちへも援助をし続けてきました。
 韓国に関しては、独立後初めてまいりました時に、キリスト教主義の大学の教授が南山の朝鮮神宮跡へ案内してくださり、いかに戦争中、神社参拝を強制されたか、拒否した人がどのように拷問され、殺されたかについて、また、独立後まずしたことは神社を叩き壊すことだったというような話をしてくださいました。
 日本においては外圧に屈するななどと言われておりますが、アジアの人たちが、なぜそれほど靖国神社参拝を問題にするのか、それがいかに隣国の反発心を煽ってきたかということを、身を持って感じさせられました。
 ですから、神社参拝をするかしないかという問題以前に、こういったアジア諸国との和解という問題を真剣に考え、ヨハネ・パウロ2世のように本当の意味で謝罪をしなければなりません。日本人自身が、国の戦争を押し止めることができなかったということに対する反省を、深く持たなければならないと思います。
 最近、ヨゼフ・ピタウ大司教が対談の中で、「日本では、記憶を浄化することが計画的に行われていない」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりだと思います。過去に犯してきたことを悔い改め、お詫びして出直すための、国家的、計画的働きがなされていないという指摘です。アジアとの関係においては、過去の過ちへの深いお詫びと出直しが、基本的に大事ではないかと考えさせられます。

濱尾 おっしゃるとおりだと思います。日本は戦中、アジアの人々の命を奪い、文化を破壊してきました。創氏改名、神社参拝の強要、ハングル語の使用禁止によって、アイデンティティーも剥奪しました。わたしと同じ世代の韓国の司教たちは、みんな日本語を話しますよ。強制されましたから。
 ある時、韓国で「日本から来る若者が、日韓併合についてよく知らない。何を教えているのか」と問われました。日本に帰ってから先生たちに聞きますと、やはり学校教育では、近現代史が避けられているようですね。
 それを契機に、まずは日韓のカトリック教会の司教たちが交流を始めました。李大司教と始めた1995年以来、10年続いています。同時に、カトリックの青年同士も交流をしています。やはり和解のためには、友達になること以外に方法はありません。
 わたしはアジア人ですから、アジアの問題がとても大切だと思っています。しかしローマでは、そういう話はまったく出ません。ですからやはり、それは我々がやらなければならないことだと思いました。

武田 ソウル大学の総長が、「どうしても一度見に行ってください」と言って、二人の教授をつけて天安の「独立記念館」を案内してくださいました。独立運動指導者の等身大の立像群や、日本官憲による拷問の様子などが展示されていまして、本当に見るに耐えませんでした。
 日本の指導者は行きたがりませんが、そこへ毎日、何台ものバスで韓国人の修学旅行生や一般の旅行団が来ています。そこで過去の歴史が、次の世代に新しい記憶として伝達されていくわけです。
 わたしは日本のカトリックとプロテスタントが、若者を一緒に募って天安の「独立記念館」を訪問してはどうかと思っています。

濱尾 それはいいと思いますね。やはりあれは見るべきですよ。いかに日本が侵略をしたかということを理解した上で、アジアの中で友好関係を作っていかなければなりません。
 そういう面で、プロテスタントとも協力できるといいですね。わたしもカトリックの側から提案しますよ。

西原 聖公会でも日韓の交流プログラムが続いています。やはり重要な点は、日本人であるわたしたち、日本の教会が、戦争責任を表明して謝罪できるかどうかだと思います。
 今、お二人から画期的な提案がなされましたが、日本のキリスト者が共同でアジアの中で出会いを形成し、政府レベルに対しても発信していく責任があるのではないか、またそれが若い世代の課題でもあると思いました。

武田 日本には「過去は水に流す」という言葉がありますが、苦しめられた人々は忘れません。若い世代は無関係だと思ってしまうかもしれませんが、歴史は次の世代にもつながっているので、もう一度自分の目で見て、これらの民族が心の深いところに、このような苦しみを持っているということを実感することが、教育において非常に大事だと思います。

西原 そういう意味で、キリスト教というネットワークは、国境を越えると同時に、それぞれの国家の問題も意識しながら、共に祈り合うことが可能な関係なのではないかと思います。
 WCCの会議でも、「暴力の克服の10年」ということを決議したにもかかわらず、世界の教会は、最大の暴力である戦争を止められなかったという反省がなされました。戦争とどう向き合うかというのが、常に世界教会の大きな課題になっています。

■日本のキリスト教

西原 次に、日本のキリスト教についてご示唆をいただきたいと思います。
 特に、世界の教会に行きますと、「日本のキリスト教は何%ですか」と聞かれます。韓国は歴史が浅いにもかかわらず、人口の約3、4割とも言われ、社会的・政治的にも大きな影響力を持っている。この違いは何でしょうか。なぜ日本のキリスト教は大きく成長しないのか、成長してこなかったのかについて、どうお考えでしょうか。

武田 韓国の場合には、日本に対する独立運動を宣教師が助けたという経緯があります。そのことが、キリスト教に対して親近感を持たせた。幾人もの宣教師たちが、独立運動の指導をして共に牢獄で苦しんだという経験を持っています。そうした歴史的背景から、韓国人にとって、「キリスト教は我々の仲間だ」と認知されてきたということがあると思います。
 日本では、儒教的な訓練を受けた武士たちからキリスト教が始まったという歴史もあり、神学的に非常に深められていった面がありますが、頭でっかちになりがちです。
 教会がもっと民衆的な礼拝の場にならなければならないと思います。今の教会には青年があまり来ません。もう少し、青年や子どもを抱えた若い母親たちも安心して教会生活ができるような、教会の礼拝形式を基本的に考え直す必要があるのではないかと思います。そうでないと、おじいさん、おばあさんの教会になってしまいます。
 そういう意味でも、カトリックとプロテスタントの若者が一緒にさまざまな経験をし、そのことから赦しや償い、救い、人間の罪という問題を考えるような契機を、もっと広げた形で与えていく必要があると思います。

濱尾 キリスト教徒になるのが難しいですよね。カトリックでは洗礼を受けるのに約一年かかります。教会にインテリは多いけれども、労働者は全然来ない。特に農村地帯は少ないと思います。
 それに、どうしても西欧から来た宗教というイメージが強いです。やはり礼拝形式などは変えていく必要がありますね。ただ、典礼という儀式を変えるのは、プロテスタントのほうが自由なのではないかと思いますが、カトリックは難しいんですよ。
 わたしが司祭になった頃は、カトリックのミサはすべてラテン語でした。公会議以降、段々変わってきて日本語でできるようになりましたが、まだまだスタイルは西欧的で、もっと変えていかなければなりません。日本以外のアジアやアフリカの教会からも、そういう声は出ています。
 武田先生がおっしゃるとおり、韓国は軍事政権だった時にも、教会が先頭に立って民主化運動に貢献しました。わたしは、韓国のカトリック青年労働者連盟(YCW)の方が朴政権下で捕まっていた時、釈放を求める嘆願書にサインをしたことがあるんです。それ以来、韓国の空港に入れませんでした。今では時代が変わって表彰されてしまいますが……。韓国では、教会が民衆の側に立った。日本の教会はそういう経験をしていない。
 日本はやはり唯一の被爆国ですから、平和のためにもっと貢献していく必要があると思います。愛国心なんて法律で作るものじゃないと思いますし、まして憲法改正なんて怖いと思います。
 軍隊がないというのは、まさに預言的ですよね。他にそういう国はあまりないですから。そういうことをもっと推進していくべきであって、軍隊を作るなんてとんでもないと思います。そういう点で、日本のキリスト教が一緒に協力して何かできないかなという気がします。
 それと、日本の教会は、ミッションスクールや福祉施設に依存してしまったという面もあると思います。本当は、そういう学校は貧しい子どものためにできたんです。それがいまや進学校でしょ。私立の学校ですから、存続のためには難しいのでしょうけれども。

西原 日本では、教会が、基本的には民衆の側に立つ民衆のための教会になり得てこなかったというのが重要な点ですね。

■『キリスト新聞』創刊60周年に寄せて

武田 『キリスト新聞』は創刊60周年を記念していますが、新聞の題字下に「平和憲法を護れ 再軍備絶対反対」という標語をずっと掲げ続けておられますね。代々の社長や編集者が堅持してこられたのでしょうが、非常に明確で分かりやすい。これを60年間謳い続けてきた伝統は、非常に大事だと思います。

濱尾 そのとおりですね。ぜひ今後も続けていただきたいです。「軍隊がないと国として守れない」などと言われていますが、やはり丸腰のほうがいいですよ。それがまさに預言者的使命だと思います。

西原 わたしも世界の会議で忸怩たる思いになるのは、日本は欧米のものを輸入してそれを翻訳するばかりだということです。
 逆に、日本から何が発信できるかという時に、大きなポイントになるのは、「軍隊をもたないこと」「唯一の被爆国であること」「平和憲法を持っていること」だと思います。それをしっかりと伝えていくことが、日本のキリスト者にとって、プロテスタントもカトリックも共同して成すべき働きでしょうね。

■カトリックへの提言

武田 一つうかがいたいことがあるのですが……。カトリックの教会では、女性の地位をどのように考えておられるでしょうか。WCCでは、初めから会長の一人に女性を入れるようにしてきました。日本では1933年から女性の牧師がいます。現在、350人ほどいると思います。聖公会も、1999年に女性司祭をお選びになりました。
 わたしは、別に地位があることが必要だとは思いませんが、伝道に責任を持つ者としての女性のあり方をどのように考えておられるのか、うかがいたいと思いまして。

濱尾 それは難題ですけどね(笑)。常にそういう声がありますが、わたしは神学的に、女性が司祭になれないということはないと思っています。ただ歴史的になかったというだけ。キリストも弟子たちも男だったという伝統につながっているのです。信徒の代表は女性が多いのですが、司祭になることだけはしていません。
 我々は、聖母マリアが女性として弟子たちにとっても中心であり、崇敬の対象であるということを強調しています。いわゆる分業のような形で、聖職者には今のところ女性はなっていませんね。

西原 世界の聖公会でもいくつかの教区は、いまだに女性司祭は認めていません。セクシャリティと職制をめぐる深刻な議論もありますが、エキュメニズムと倫理の問題は、これからの非常に大きな課題ですね。

武田 女性の中には、神学を学び、信徒を養っていく羊飼いであることのできる人はいると思います。
 日本では、植村正久が初めて自分の弟子である女性を牧師にし、娘の植村環が二人目の女性牧師になりました。カトリックも、よき牧者がいれば司祭にしていくということをぜひやっていただきたいと思います。

濱尾 女性の神学者はたくさんいますけれどもね。

西原 しかし、カトリックにおけるシスターの働きは大きいですよね。まさにマザー・テレサなどは代表的な例だと思います。

濱尾 男よりもよく働きますよ(笑)。

武田 男の方も立派ですけれども。やはり、男の方だけが枢機卿になるのではなくて……(笑)。それだけ申し上げておきたいと思いまして。

■宗教の果たすべき役割

武田 日本にはいろいろな宗教があるから対話がしやすいと言われますけれども、宗教の中で、人間を超えたものを抜きに、人間が神さまになってしまうということが一番危険だと思います。
 ですから、多様な宗教があるからといって日本がモデルになるかというと、そうではなく、その中で本当に人間を超えたものの前にひざまずいて自らを省み、新たにされる、そのことから人間の罪と救い、人間の革新ということが見えてくるということこそが大事だと思います。
 諸宗教の中で、そういう問題が提起し合えるような対話が非常に大事ではないでしょうか。そのような対話ができれば、世界へ重要なメッセージを発信できると思います。

濱尾 まったく同感です。終戦後、政教分離がはっきりしたことはいいことですが、宗教を公立の学校で教えなくなりました。そんな国は世界にありません。宗教というのは基本的人権です。日本ではそういう意識が低い。
 ですから、本当の超自然の神に対して、限りある人間の謙虚さのようなもの、それが宗教なんだということを教えるべきです。そうしないと、占いとか新新宗教とか、カルトとかそういうものにばかり走ってしまって……。
 ヨーロッパは公立の学校でも、宗教とは何かを教えています。日本でそれをなくしてしまったことは非常に残念ですね。だから、まやかしの宗教「的」なものが増えてしまったのではないでしょうか。それらはほとんど、御利益でしょ。文部行政には、教育基本法の見直しなんかより、基本的な宗教心というものを考えてほしいですね。

武田 人間は、善悪両方の可能性を内在させている。自由に放任すると何をするか分からない。今も、多くの殺人などがありますが、罪を知るということは、人間の怖さを知るということだと思います。
 キリスト教の罪というのは、人間は悪を犯す可能性をもっているということ。それを知り、それと闘って克服する道を探り求めることが大切だと思います。そのことが、キリスト教が日本で果たさなければならない非常に大事な役割ではないでしょうか。

西原 今日は日本のキリスト教界を代表するお二方から、若い世代への貴重なメッセージをいただけたことに心から感謝いたします。どうぞ、今後ともお元気で、日本の教会、世界の教会のために、ご指導いただけますように。本日はありがとうございました。


【出席者プロフィール】

武田清子 たけだ・きよこ 1917年兵庫生まれ。61~83年国際基督教大学(ICU)教授、83~88年同大学院教授。59年『人間観の相剋』を発表、東京大学で文学博士。専門は思想史。71~75年WCC会長。ICU名誉教授・前理事、聖路加看護大学理事。著書に『土着と背教』『正統と異端のあいだ』『天皇観の相剋』ほか。

濱尾文郎 はまお・ふみお 1930年東京生まれ。57年ローマにて司祭叙階、70~80年東京教区補佐司教、80~98年横浜教区司教。98年移住・移動者司牧評議会議長に任命され、大司教。2003年日本人として5人目の枢機卿に選出。06年同評議会議長を退任。著書に『キリストのまなざし』『生きる意味を聞く』『聖書のこころ』ほか。

西原廉太 にしはら・れんた 1962年京都生まれ。96年日本聖公会司祭按手、岡谷聖バルナバ教会牧師、97~2006年NCC副議長。98年より立教大学文学部キリスト教学科教員。専門は聖公会神学、エキュメニズム神学、組織神学。現在、WCC中央委員、世界聖公会エキュメニカル関係常置委員。著書に『リチャード・フッカー――その神学と現代的意味』、共著に『知の礎』、“Other Voices, Other Worlds”ほか。

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