【映画評】『ポー川のひかり』 現代に現れた元哲学教授の「キリストさん」 2009年8月1日

 イタリアの古都ボローニャ。荘厳な空気を宿す大学図書館で、散乱した書物の数々が楔に刺し貫かれるという猟奇的な事件で幕を開ける。『ハリー・ポッター』か、はたまた『天使と悪魔』のワンシーンを思わせるようなサスペンスタッチの冒頭。「Cento Chiodi(100本の釘)」との原題もここに由来する。しかし、場面は一転。イタリア北部をとうとうと流れるポー川のほとりに住み着いた哲学教授の自由気ままな生活が描かれる。将来を嘱望されていた彼は、哲学者カール・ヤスパースの言葉で「純粋性が失われた時代において我々の実存を解明するのは狂気なのか」と学生に問いかけ、世の「権威」に抗うように、司教の愛する書物を磔にし、地位、名誉、財産、学歴などを捨てて大学を去ったのだ。
 村人に「キリストさん」と呼ばれ親しまれるようになった彼のもとに、やがて「容疑者」としての追及の手が迫り。

 監督は、『木靴の樹』(1978)や『聖なる酔っぱらいの伝説』(1988)でイタリアの名匠と呼ばれたエルマンノ・オルミ。自身にとって最後の劇映画だという。敬虔なカトリック信者でもある監督自身、「平和の神はどこにいるのか」と問いかけながら、すでにその答えを本作の中に見出しているようにも思える。村人に「自分の言葉で語れ」、「平和は外から来るのではない。皆で作るものだ」と激励する言葉、「世界中の本より友達と飲むコーヒーのほうがいい」という台詞が印象的。

 長髪に髭面というステレオタイプな「キリスト」像には違和感も残るが、ポー川の深い碧、吹き渡る風など、牧歌的でどこか懐かしい村の情景が、悠然とした時の流れに観る者を誘う。廃屋に住み着いた「不審人物」が地元の村人たちと打ち解けるまでのプロセスは、もっと丁寧に描いてほしかった。

 イエスは、大学の研究所でも神殿の祭壇でもなく、小さな村で細々と慎ましく、しかし誠実に生きようとする民衆のただ中に共にいようとされた。今や村を離れ見えなくなった「キリストさん」を通して、その姿が鮮明に見えてくる。

 結論は至ってシンプル。「もう一度原点に帰ろう」「父のもとに帰ろう」。そんな聖書のメッセージを現代によみがえらせた「監督オルミによる福音書」である。

 

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【Ministry】 特集「青年をどうする? いま、ここにある青年伝道」/対談「牧師カルヴァンの実像」エルシー・マッキー×出村 彰 2号(2009年6月)

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