白柳誠一枢機卿が死去 世界の平和と和解に尽力 2010年1月23日

 東京教区大司教を31年にわたって務め、日本人では4人目のカトリック枢機卿として世界の平和と和解に尽力した白柳誠一氏が、12月30日、静養先のイエズス会上石神井修道院ロヨラハウス(東京都練馬区)で心筋梗塞のため死去した。享年81歳。葬儀ミサ・告別式は1月5日、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)で行われた。喪主は岡田武夫氏(カトリック東京大司教)。2007年11月の濱尾文郎氏に続く訃報で、日本人の現職枢機卿はいなくなった。

教皇ベネディクト16世も哀悼の意
 白柳枢機卿は1928年東京生まれ。54年に司祭叙階、57~60年にローマへ留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程を卒業。66年に司教に叙階され、83~92年、日本カトリック司教協議会会長を務める。82年の「第2回国連軍縮特別総会(SSD―Ⅱ)」には日本から43万人近くの署名を国連に提出したほか、日本のカトリック司教としては初めて、世界大戦における日本教会の戦争責任を公式に謝罪。第二次大戦当時、インドシナ半島で旧日本軍の支配の下で苦痛を体験したオランダ人被害者に対して「償いと和解の巡礼」を行うなど、積極的に平和を求める行動に寄与した。
 82年の前教皇ヨハネ・パウロ2世の初来日を契機に、日本の殉教者の掘り起こしと顕彰が始まった際には、「殉教者崇敬促進委員会」の委員長としてキリシタン研究者や歴史学者からなる委員を組織し、調査活動を軌道に乗せるなど、後年のペトロ岐部と187殉教者の「列福」(2008年11月24日)実現の先駆としても大きな役割を果たした。
 また、諸宗教対話や宗教間の平和協力にも積極的に取り組み、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の理事長を務めるなど、「世界の枢機卿」として国際的にも活躍した。
 94年に枢機卿に任命され、2005年のヨハネ・パウロ2世逝去に伴う教皇選挙にも枢機卿として参加した。
 枢機卿としてのモットーは、「CARITAS CHRIST URGET NOS(キリストの愛が私たちを駆り立てる)」だった。

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