生誕100年記念マザー・テレサ映画祭 千葉茂樹監督が見た「コルカタの聖女」 2010年1月30日

 マザー・テレサ生誕100年を記念し、東京都写真美術館ホールでは「マザー・テレサ映画祭」が開催中だ(2月14日まで)。「愛の反対は憎しみではなく無関心」。マザーが投げかけた言葉は宗教を超えてこの時代を生きるわたしたちの心にこだまする。日本人として初めてマザーの映像取材を許可された千葉茂樹監督はこの生誕100年記念に『マザー・テレサと生きる』を制作した。これまで『マザー・テレサとその世界』(1979年)、『マザー・テレサの祈り 生命●いのち●それは愛』(1981年)をも完成させた千葉監督。制作を通じて交流を深めた千葉さんにマザー・テレサとの思い出を聞いた。

 千葉監督がマザーを知ったのは、1974年、ベルギー・ルーベンで行われた世界宗教者平和会議を取材したとき。マザーがノーベル平和賞を受賞する前のことだった。「あれだけの仕事をやっている、これほどの信仰心を持つということ・・・・・・その親分は何か? と気になりまして。マザーという人に出会っていなかったら私自身も洗礼までには至らなかった」。
千葉監督から見たマザーは、「直感的に神の指示を感じ取っている人」という。 

某テレビ局の依頼を受け、撮影でカルカッタへ渡ったときのこと。現地で世話になった通訳の女性をめぐる不思議なエピソードがあるという。全ての仕事を終えたとき、通訳者は、マザーに個人的な相談をした。
「『私は実はコミュニスト』だと。だから神さまはいないと思っているけど、そういう私はどうやったら神さまに触れることができるのですか? って。面白いと思ってカメラをもう一度回そうと思ったの。そしたらマザーは、『あなたのフルネームを書いて』と。名前は、『ラマ・ラクシュミリ』という。それはヒンズー教の女神の名前。マザーは、今日から、あなたの名前を唱えて、いつか神に出会えるようにお祈りします、と応えたんですね。もうカメラも撮る暇もないまま、あっという間に終わってしまった。それを聞いて、私は、えっ? って思ったの。聖書を読みなさいとか、神父を紹介します、って言うんじゃないかなと思っていたから。そうじゃないんですね。『今日からあなたのために祈ります』、と。うわー、すごいなぁって思いましたね。マザーらしいというか。いま、あなたのためにできることは、祈ることだ、って」
それから1年後、ラマさんはキリスト者と結婚。さらに1年半経って、出産したという報せが千葉監督のもとに届いた。
「『夫は赤ちゃんに洗礼を授けたいと言っている。ついでに、私も洗礼を受けたいと思っている』と書いてありました。マザーは、神学的にどうこうというのではなく、とても現実的で、具体的に取り組む人なんですよ」

マザー・テレサの働きはキリスト教の枠を超え、普遍的なものだ。現今のキリスト教会にその精神は息づいているのだろうか。ホームレスが助けを求めて教会へ行ったとき、拒否されてしまった、という話も時折耳にする。
「ある神学生の人が言っていました。神父になるとき、あなたは教会を見ている、というのはおかしいんだと。奉仕は教会にではなく、イエス・キリストに仕えるのだ、と。教会がもっている制限や個性は確かにあるし、それが目について、進むべき道を邪魔することがある。キリストの十字架の横に、『I thurst』と付いていた。その原点に立ち返ることなんだ、と、マザーは言うと思う。つまり、あなたの目の前にいる人の渇きをどのように癒すか? と考えたら解決するんじゃないかと。教会の扉は閉まっているかもしれないけど、私たちが個人的に人間として生きるとき、その扉を閉めておくわけにはいかないと思う」
マザーは、03年、教皇ヨハネ・パウロ二世により列福され、福者とされた。「聖女」と呼ばれるにふさわしい生涯を生き切ったわけだが、人間的に「ああ、こういうキャラクターなんだなぁ」と思ったことがある。それは、マザーが怒ったことだ。
「マザーの写真を撮っていたOさんという日本人のカメラマンがいた。そして写真集を出すと同時にあちこちで写真展を行い、マザーにあてた募金活動に出た。それを知って81年に来日したマザーは、怒ったんです。『マザー・テレサの名前を語ってお金を集めることは、あなたは儲からなくても、私は困るんだ』と。かなりきつく言っていましたね。個人個人が募金活動をやるのはいいけれど、マザー・テレサという名前を使うと、つい皆がお金を出してくれる。それはひじょうに不本意である、と。原則をものすごく大事にしていて、ガンコなところもあるんです。
マザーにしてみれば、キリストと私との約束について行っていることだから横を見ないでくれ、ということだと思う。何でもいいよ~みたいな意気込みでは、あれだけの仕事はできないでしょうね」

また、シスターたちの食事のシーンを撮ったときのこと。千葉監督と二人のカメラマンにも「食べてくれますか?」 と、院長から申し出があった。出てきたものは、チャパティと、ダル(スープ)、サラダと水。ひじょうに簡単なものだった。
「いただきます、と言っただけで、シスターたちが拍手し始めた。どうしてシスターたちは喜んでいるのか院長に聞いたら、『あなたが今食べようとしているこのチャパティは、最も貧しい人たちが食べているもの。そして私たちも毎日食べている。それをあなたがたは喜んで食べてくれるって言っているので、みんな嬉しくなって、ありがとう、って言っているんですよ』とね。そんな『ありがとう』は聞いたことが無いよ、って、私もカメラマンも黙々と食べました。胸がいっぱいになって、喋れなくってね。カメラマンの一人は、『監督、今日、夕飯はここでいただいたから、もういいよ』と言うんです。日々、ものすごくきつい労働をやっているから、いつもはホテルに帰ってフルコースでビール2本とか、わがまま言って食べているのに。ところが、その彼が言った。もう一人のカメラマンに聞いたら、彼も同じ意見。その人はめったに口をきかない無口な人で、赤旗降るのが大好きなのだけれど、彼は、『今日は心が満たされて、気分がいいなぁ』とつぶやいた。一ヶ月以上、この人たちと一緒に(撮影を)やってきてよかったな、と思いました。カメラマンは、マザーやシスターたちから、『心』を受け止めた。ただ、技術的にカメラで撮っていたわけじゃない。

 

今回制作された記念作品『マザー・テレサと生きる』は、没後12年を経た今、日本でマザーの精神がどのように受け継がれているのかを追ったもの。「神の愛の宣教者会・東京修道院」の活動や、長期休暇を利用してカルカッタの「死を待つ人の家」で働く日本人医学生、東京・山谷にあるホスピス「きぼうのいえ」の日常も映し出される。

 

 

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