立教大 小河陽氏最終講義 「神の国」理解の変遷たどる 2010年2月6日

 立教大学文学部キリスト教学科教授の小河陽氏(専門=新約聖書学)が今年3月に同大学を定年退職することになり、1月23日、同大学太刀川記念館で「20世紀における神の国解釈史」と題する最終講義を行った。卒業生や教職員など、約120人が参加した。
 小河氏は、20世紀における「神の国」解釈史について、2度のパラダイムシフトがあったことを、4つの段階に整理して解説した。
 第1のパラダイムシフトは19世紀末に始まる「終末論的神の国再発見」であり、20世紀後半に至るまでの解釈を決定付けるものであった。J・ヴァイスとA・シュバイツァーは、それぞれ神学的動機と意図は異なっていたが、黙示的な「神の国」を提示した(第1段階)。これに対してR・オットーは、終末論的でありながら非黙示的な「神の国」理解を示し、C・H・ドッドは『神の国の譬』で「神の国」の現在性を強調した。またR・ブルトマンは、イエスの「神の国」宣言を実存主義哲学の援用によって再解釈した(第2段階)。さらに未来的終末論と現在的終末論を調停する「神の国」理解として、J・エレミアスは「実現しつつある終末論」を提唱した(第3段階)。
 第2のパラダイムシフトは、70年代半ばに台頭して現在では支配的となった、「神の国」への「言語学的・文学的方法論によるアプローチ」である(第4段階)。N・ペリンは、「神の国」は概念ではなく、神の王支配の神話を呼び起こす象徴であると捉えた。21世紀に入っても文芸批評は進展し、さらに社会科学の領域における理論や方法論を用いて1世紀の世界と史的イエスを解明する研究が広がっている。
 小河氏は結びとして、「イエスの説教における『神の国』が現在的である、未来的であるという時間的なあいまいさは、それが示威するのは根本的に超越的な現実であり、いかなる人間的組織や制度でもなく、それゆえ純粋に理性的認識の対象たりえず、神の主権的な働きの超越的性質を証言する」「イエスは日常的な言語を用いて超越的な『神の国』を語った。イエスの『神の国』説教の解釈は、徹底的な内在性と徹底的な外在性の併存がそれに基本的たることを念頭に置かねばならないのではないか」と語った。
 「神の国」を最終講義のテーマにしたことについて同氏は、学生時代に関心を持ちながら、その後取り組むことができなかったテーマであり、今後資料を分析していく予定であることを明かした。そして、「一つの節目が終わるということは、次の節目に対しての新しい出発でもある。これから取り組まなければならないかなり膨大な事柄に対しての一つの方向性を自分としても整理しておきたい」と述べ、自身の姿勢を表明するための意味がテーマに込められていることを示した。

メモ
 小河陽(おがわ・あきら)=1944年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。東京大学人文科学研究科修士課程修了。仏ストラスブール第2大学プロテスタント神学部研究科博士課程修了。89年から91年まで弘前学院大学文学部教授。91年から19年間立教大学文学部キリスト教学科教授。著書に『マタイによる福音書――旧約の完成者イエス』『パウロとペテロ』、訳書に『EKK新約聖書註解マタイによる福音書』など。

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