上原前市長 「まきこまれる側」の責任問う 2010年2月27日

「信教の自由」どう守る? 今後に課題も――
 「信教の自由を守る日」として各地で集会が催された2月11日、東京では「第44回 なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化2・11東京集会」(同集会実行委員会主催、日本キリスト教協議会=NCC=靖国神社問題委員会後援)が千代田区の在日本韓国YMCAで開催され、キリスト者を含む約120人が参加。前国立市長の上原公子氏が「まきこまれる側の責任として憲法を使う運動へ――憲法と教育と戦争」と題して講演した。政権交代後、政教分離訴訟の最高裁判決を経て、刻々と情勢が流動する中、今後の課題も浮き彫りになってきた。

〝憲法を使いこなすことこそ〟
 上原氏は講演の冒頭、作家の早乙女勝元氏が述べた戦争の三つの責任「戦争を始めた責任」「戦争を止めなかった責任」「戦争にまきこまれた側の責任」に言及。「まきこまれた側の国民に果たして責任はなかったのか」と問いかけ、「我々の身の周りにこそ戦争への道が作られてきている。そのことをどう見極められるかに懸かっている。憲法を使いこなしながらその道を絶っていくという『まきこまれる側の責任』を果たしていこうではないか」と訴えた。
 憲法11条と97条でうたわれている「基本的人権」は永久不可侵の核であり、12条にあるように、不断の努力をして初めて生かされるが、法律は分かりづらく、学ぶ機会も少ないと話す同氏。そこで92条に注目し、「基本的人権を学び、法律や制度にし、正しく膨らませるための学びの場が『地方自治の本旨』」であると語った。
 「憲法を使いこなすということは、地域において暮らしを見極めながら自分たちの自治体の運営について意見を言える人間にならなければいけないということ」と述べ、憲法の3原則「平和的生存権」「基本的人権」「国民主権」を行使する場としての「地方自治」の重要性を指摘した。
 さらに教育の問題にも言及し、2006年の教育基本法「改正」と子どもの貧困状況が、今の教育の問題の端的に表れている恐ろしさだと指摘。子どもが学べなくなることは、生きるという選択肢がなくなることだと主張した。憲法25条と26条は一体であり、「子どもたちの教育を受ける権利、その人がその人らしさの可能性を見いだせる場所を提供しなければならない。そのためには働く権利も社会的にサポートしながら作らなければならない」。
 また、子どもを守るという理由で監視カメラが設置されるなど、「安心・安全な街づくりを標語に、相互監視をするような組織作りが日常の暮らしの中にある」と語り、「平和的生存権は支配する者によって巧みに作られていくが、まきこまれる側が自ら支えて作っていく状況もある。今我々はその状況にある」と訴えた。

「戦没者追悼施設」に危惧
 集会後には、小雨の降る中デモ行進が行われ、参加者は「靖国参拝をやめろ」「日の丸・君が代を押し付けるな」などと書かれたプラカードを掲げてアピールした。
 NCC靖国神社問題委員会委員長の須賀誠二氏は、「毎年2月11日に『政教分離』『信教の自由』を訴えてきたが、キリスト者として今の憲法を生かすことの重要性を考える集会になった」とふり返った。
 同集会で採択された「第44回 なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会宣言文」は、民主党が靖国神社に替わる「戦没者を国家により追悼する施設」の設置を進めようとしていることに対し、「本来個人が考える、人の死について国家が介入しようとするものであり、あきらかに憲法違反といえる。このことは、自衛官合祀拒否訴訟の原告として声を挙げ続けてきた、中谷康子さんの願いを踏みにじるもの」と危惧を表明。普天間基地移設をめぐる政府の姿勢をただした上で、「『まきこまれる側』として単に受身になるのではなく、憲法を使うことによって、政教分離を守り、戦争を止め、平和をつくりだす運動を、これからもお互いに連帯しつつ続けていきたい」と述べている。

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