【映画評】『野のユリ』/『歓びを歌にのせて』/『アマンドラ! 希望の歌』 賛美の喜びが響きあう3本

 『野のユリ』黒人男性ホーマーは、長身で足長の好青年。東独の尼僧が生活するアリゾナ荒野の小修道院で、院長の信仰深さと一方的な思い込みで即席の労働力として使われ、最後は教会堂まで建設する。

 音楽は『オーメン』や『エイリアン』で知られるジェリー・ゴールドスミス。冒頭からカントリー調の「エイメン」が流れ、作品の根幹をなす。カトリック聖歌からアカペラの「エイメン」が合唱になっていく場面は、軽やかで素晴らしい。屋外の解放感とともに、音楽をたしなむ者ゆえの即興や重唱が心地よい。車が寝床のホーマー、キャンピングカーでミサをする司祭と「開拓」移民団。野外ミサの奏楽は小型リードオルガン……と実に素朴である。ラストにホーマーが献堂後の初ミサには出ずに旅立つあたりは昔懐かしい(?)ダンディズムか。

 

 『歓びを歌にのせて』は北欧版『天使にラヴソングを』とも言える。しかし『天使に……』よりも深く重たい。クラシック音楽界の一線から退いた指揮者ダニエルは、故郷の村を訪ね、教会の聖歌隊指導に一役買うが……。

音楽を続けるとは、このような営みかもしれない。聖歌隊はアマチュアメンバーで、個々の課題やトラウマを抱える。どこか異質な指揮者は不器用なイエスを思わせ、パートナーを求めつつ常に一時の恋に終わるレナはマグダラのマリアのよう。知的障がいを持つ青年男性、夫のドメスティック・バイオレンスに苦しむ妻、厳格なルター派牧師夫妻の葛藤……。歌うごとに調和するよりは、思いが噴出してバラバラにさえ見える。ラストは指揮者不在で、そのまま地声で自然発生的に歌いだし、会場全体で響きあう様子は、ハリウッド的幸福観ではない。

 

 

 『アマンドラ! 希望の歌』かつて人種差別政策アパルトヘイトで知られた南アフリカは、映画や音楽的素材にも事欠かない。南アのアカペラグループはレディスミス・ブラック・マンバーゾが知られるが、全編に南ア独特のハーモニーとリズム、そして土臭さと力強さがほとばしり続ける。

筆者は器楽奏者だが、楽譜と楽器のみに固執している我に気づかされる。どこでも誰とでも手をつなぎ歌い分かち合う音楽の豊かな力。教会でももっと自覚して味わってみたいものだ。日々の生活や礼拝の中で、どれほど喜びを感じて賛美しているだろうか。歌えないと呼吸ができないほどの愛しさと切なさを持っているだろうか。南アの革命は「唯一、音楽だけで実現した」とも言われる。武器ではなく、踊りと歌による「トイトイ」で闘った。「希望」とは、絶望を味わいつくした者にしか与えられないのかもしれない。

(竹佐古真希)

 

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【Ministry】 特集「青年をどうする? いま、ここにある青年伝道」/対談「牧師カルヴァンの実像」エルシー・マッキー×出村 彰 2号(2009年6月)

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