日本宗教連盟、東京でシンポジウム 「代理出産」の問題点を考える 2011年3月19日

 日本宗教連盟(山北宣久理事長)は、「『代理出産』の問題点を考える――生殖補助医療といのちの尊厳」と題するシンポジウムを2月25日、国学院大学(東京都渋谷区)で開催、約200人が参加した。

 これは、代理出産が投げかける諸問題について、医療、科学の視点と宗教的な視点を交差させながら考えることを目的とするもので、日本宗教連盟が2003年から開催している「宗教と生命倫理シンポジウム」の5回目として開催された。

 島薗進氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)がコーディネーターを務め、久具宏司(東京大学医学部附属病院講師)、今岡達雄(浄土宗総合研究所主任研究員)、根津八紘(諏訪マタニティークリニック院長)、金子昭(天理大学おやさと研究所教授)、柘植あづみ(明治学院大学社会学部教授)の5氏がパネリストとして発言した。

 日本では、2003年の厚生科学審議会生殖補助医療部会答申で、代理出産を禁止する指針が示された。これを受けて、日本産科婦人科学会は同年、「代理懐胎の実施は認められない」とする「代理懐胎に関する見解」を出し、08年の日本学術会議対外報告は、代理出産を「原則禁止とすることが望ましい」としたが、法制化には至っていない。

 久具氏は、このような日本における生殖医療に対する規制の経緯を解説したうえで、代理出産の問題点として「医学的リスク」「法的親子関係」「倫理的問題」の3点を指摘した。

 今岡氏は、浄土宗総合研究所が09年に行った「生命倫理・再生医療に関するアンケート」を紹介。146教団を対象に調査し、そのうち37教団から得た回答について、「脳死・臓器移植」よりも「生殖補助医療」について関心を持つ教団が少なかったことを提示。

 また、「生殖補助医療」の問題に対して出版物の形で態度を明確にしているのはカトリック中央協議会だけだとし、カトリック教会が人工授精・体外受精・代理出産を認めていないことを例に示した。そのうえで、「いのちの始まり」に関する創世神話について明確なストーリーを持つ教団は、「生殖補助医療」の問題に対しても意見が明確であるとの主張を展開した。

 01年に代理出産治療を公表し、現在まで21例に対して同治療を行ってきた根津氏は、「決して代理出産の推進派ではない。自ら望んで続けてきたわけでもない」と前置きしたうえで、同治療を続ける理由を、「目の前に代理出産でしか希望を叶えてあげられない患者さんがおられ、彼らがわたしに手助けを求めたとき、医師としてその方々を見過ごすことができなかったから」と説明。

 86年に日本初の減胎手術を施行した際に受けたという「神の領域を侵す行為」との批判について、「そもそも神は、人間の推し量るレベルで領域などというものを設定していないのだと思う。むしろ人間の考え及ぶことのできないところに神は存在し、そこから神はわれわれ人間を、授けた英知をどのように生かしているのか、お互いに助け合って生きているのかなど、静かに見守っておられるのではないでしょうか」と主張。

 また、「子どもには『どのようにして生まれたかではなく、どのようにして育てられたか』ということが重要」とし、「当事者を否定するのではなく、当事者の立場に立ち、どうしたらこのような患者さんを救い、また産まれてきた子の立場が守られるかの具体策を求めて議論を続けていく必要があるのだと思う」と持論を述べた。

 金子氏は、不妊に苦しむのは身体ではなく「人の心」だとし、それは周囲からの圧力や本人の自責感情に由来する人間的葛藤だと主張。宗教の救いが向かうべき対象は、その「心」や人間関係だと述べたうえで、伝統宗教も新宗教も、家制度を助長し、不妊女性を責めるような説き方をしてきたと指摘

 「そのことに対して、宗教界は真摯に受け止めて、まず懺悔とお詫びをしなければならない」と語った。さらに、宗教において「いのちの根源」は超越者たる神仏に由来し、人間の自己決定権は万能ではなく、一定の制限がなされるべきだと述べ、「代理出産は、不妊治療の延長線上に単純に位置づけられるものではない」「宗教の役割は、心魂の救済の根本に立って、とらわれのない幸せな生き方の選択肢を提示すべき」と主張。里親制度を例に、「親として大切なのは単に『産む』ということではなく、子を育み、成人へと向かわせることである」と語った。

 柘植氏は、代理出産を引き受ける女性には、金銭的目的だけでなく、「人のために役に立ちたい」という思いがあると述べ、そこには自尊感情の低さが影響していると指摘。代理出産を依頼する女性については、「産めないこと、産まないことに対して自分で低い評価をつけていないだろうか」と述べた一方、「女性が産めないということに対して、どのように男性パートナーは理解しているのか」と、男性に対しても理解を深めるよう喚起した。

 さらに、子どもがいない女性に対して親族から「子どもの作り方を知らないのか」「親不孝だ」と言われることが不妊治療の動機付けになっていると述べ、「慣習や制度が子どものいない女性を少数派に追いやっていないか」と指摘。「代理出産の推進の論理にも、規制の論理にも、差別や偏見に基づく部分があるのではないか」と述べ、「子どもを持つことを、『妻の地位』『夫の地位』『社会的な地位』などの手段にしていないか」と訴えた。

「人格」としての尊厳に注視を

 シンポジウムに出席した岩本潤一氏(カトリック中央協議会司教協議会秘書室研究企画主任研究員)は、次のようにコメントした。

 カトリック教会は近年、「人のいのちの始まり」や生殖補助医療についての教えを明確化し、文書としても発表してきた。

 カトリック教会は、不妊の苦しみを理解し、不妊治療・研究をむしろ激励するが、人工授精ないし人工受胎は不道徳だと考える。それが「夫婦が自己を与え合う行為から出産を分離する」からである。さらに代理出産や非配偶者間人工授精(AID)は、「子どもが自分の知っている、結婚によって結ばれた両親から産まれる権利を侵害する」がゆえにきわめて不道徳と考える(『カトリック教会のカテキズム』2373~2377参照)。

 ところで、「いのちの始まり」に関するカトリック教会の考え方は、今岡達雄氏がいわれるような単なる「神話」ではない。たとえば、2004年2月にイタリアで成立した「生殖補助医療に関する法律」では、代理母を刑事罰によって、AIDを行政罰によって禁じる。イタリアの生殖補助医療に関する法律は、1989年に欧州議会が発表した「体内及び体外の人工生殖に関する決議」に沿うものだが、いずれも、親だけでなく、子の福祉・権利を重視・保護する考え方を採る。2008年に発表された日本学術会議対外報告も、「出生した子の権利・福祉は、代理懐胎依頼者・代理懐胎者の自己決定を超える問題である」(同報告12頁)とはっきり述べる。

 「人はその生命の最初の段階としての接合子の時から、決してモノではなく、つねにその人格が認められなければならない」。これも、教会文書ではなく、1989年に欧州議会が発表したもう一つの文書「遺伝子操作の倫理的・法的問題に関する決議」の一文である。

 日本における2007年の顕微授精を含む体外受精児の出生児数は約2万人で、総出生児の1・8%(56人に1人)である。しかし生殖補助医療はいまだ「実験的医療」にすぎないことも忘れてはならない。日本における生命倫理をめぐる議論では自己決定やインフォームド・コンセントの確保ばかりが強調されるきらいがある。しかし、「いのち」にかかわる問題の考察は、宗教の有無・相違を超え、まず、すべての人の「人格」としての尊厳にあらためて注視することから始めなければならないのではないだろうか。

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