「生きている瓦礫」を前に 真生会館カトリック学生センターが報告会 2011年5月7日

 東日本大震災に際し、カトリック教会で迅速に救援活動を始めた真生会館カトリック学生センター(本紙4月16付で既報)。これまで2度、被災地へ向かった(3月23~28日、4月2~9日)。

 仙台教区がサポートセンターを設置した3月17日の翌日から同センターと連携し、東京教区の青年ボランティアの窓口を設けた。同会館(東京都新宿区)で4月11日に行われたボランティア報告会では、同行したオリビエ・シェガレ(真生会館館長、パリ外国宣教会)、倉田厚(東京教区司祭)、山内保憲(イエズス会司祭)の各氏と関係者らが集った。

 「絶望的な状況だからこそ希望を探して生きていこうとするのだと感じた」と感想を述べた倉田氏。滞在していた塩竃教会は、今回の震災で亡くなったアンドレ・ラシャペル氏が主任司祭を勤めていた。そのような状況下で「ミサをさせていただけたのは、たまたまわたしの持っていた能力でできたこと」と言う。

 ボランティアに行く際の心構えについて、「目の前にある現実でできることをさせていただくという気持ちがなければ、ボランティアに行っているのか、わたしの『我』を発揮したいだけなのかという問題になる」と指摘した。

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 4月2日から釜石教会をベースに派遣されたボランティアは11人。瓦礫撤去のほか、釜石教会での物資の仕分け、福祉避難所での炊き出しなどを行った。

 瓦礫の山を見て「早く片付けなくては」と焦る一方だったというシェガレ氏。作業を進めるうちに、それは人々の心や歴史、生活が入っている「生きている瓦礫」なのだと痛感した。毎晩ミーティングを行うなか、「大変な被災の状況下で、人のために頑張ろうとするとき、人間は心を開き、深く交われる。そしてそれは教会の原点だと思った」。

 大西崇生神学生(イエズス会神学院)は、住居の瓦礫の撤去作業をしながら涙がこみあげてくるような体験があったと話した。定年退職をしたと思われる人の年賀状の切れ端に、「今年から無職生活に入ります。貧しいけれども楽しい1年にしたいと思う」という記述があったことを紹介した。

 「被災地の情報ということ以上に、目で見て手で触れて臭いをかいで、心で感じて揺り動かされた体験を伝えることがわたしたちの使命だと思う」

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山内保憲氏〝裏から支えつなげる使命〟

 第1陣として石巻入りしていた山内氏は本紙の取材に対し、「どうすればお互いの情報を簡単に共有することができるか、需要と供給の連絡調整が必要」と話す。

 阪神淡路大震災で被災した経験をもつ山内氏は、「目標は、被災者と共に苦しみを共有し、少しでもできることをやっていくということ。キリスト教だからこういうことをすべきだとか、そういう看板を下ろしていくことが大切」と言う。

 たとえば、真宗の寺院で毛布が必要だという情報を上智大が集めて、創価学会の車が荷物を運び、現地ではピースボートが配布するというように、教会やNPO団体としての枠を外していくことの可能性も主張する。「自分たちの名前が消え、より一層他の人たちの働きを裏から支え、つなげていくことに特化したほうがいい」

 山内氏がボランティアとして入った石巻の教会裏には、仮埋葬地があり、毎日、たくさんの遺体が仮埋葬されていった。石巻市には火葬場が二つしかないことと、ガソリンが不足していることから、仮埋葬のうち早い人でも火葬に入るのは6月以降だという。

 「もし可能ならば、わたしたちで責任をもって被災のなかった火葬場まで運び、責任をもって荼毘に付し、状況が整うまで教会内でご遺骨を預かることができないか……。長いスパンで根気のいる取り組みになるが、宗教者だからこそ試されているのではないか」とし、宗教者として亡くなった人を手厚く葬ることの大切さを語った。

 「どうして神がこんな酷いことをするのか、という思いに駆られている人もたくさんいると思うが、宗教の枠を超えて動き出していくことによって、亡くなった方々の一つひとつの命を大事にしていきたい」

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