教文館セミナー「死にどう備えるか」 〝葬儀は牧会の務め〟 2011年5月21日

 キリスト者の葬儀についての悩みに答えようと、東京・銀座の教文館(渡部満社長)が、「死にどう備えるか」と題するキリスト教葬儀セミナーを4月25日・26日に同社で開催した。石居基夫(ルーテル学院大学准教授)、木村恵子(日基教団霊南坂教会員)の両氏が牧師、信徒の立場から講演したほか、キリスト教葬儀社の栄光式典社、ナザレの担当者も招かれ、キリスト教葬儀の現状と実際について解説した。

 「日本の死生観とキリスト教の信仰」を研究テーマとする石居氏は、日本人が伝統的に魂のよりどころとしてきた「自然」や「共同体」が崩壊した現代では、「死」が個人化され、いのちの神秘性がはぎ取られていると指摘。病院や施設で死ぬことが一般的になり、「死」に触れて実感する機会が奪われていると語った。

 日常的な信仰生活の中で「死」に備えるために大事なことは、「生きていることをしっかり受けとめること、自分の人生を愛していくこと」であるとし、「ダメな自分でも(神さまに)受け入れられているということが、唯一わたしたちが自分で自分の人生を受けとめていく力になる」と強調。それが「死」を受けとめる力になると語った。

 また、死にゆく者と遺される者が「ことば」を共有し、「和解」できるよう、日ごろから家族の間で自分の考えを伝えておくことが大事だとした上で、「葬式無用論」に反対の立場から、「別れは悲しい。しっかり悲しむことがわたしたちを前向きにする。だから悲しむ時を作らなければならない」と述べ、死者と遺された者が、葬儀によって豊かに結ばれ、それが「生きる」ことをも豊かにすると主張した。

 さらにルーテル教会の事例として、本人が信仰者でなくてもキリスト教式の葬儀を行うことが可能であることを示し、教会が葬儀の一連の儀式を行うことについて、「証しになるし、そのことが具体的に牧会の場所になる。牧師が家族・親戚に関わる中で話しを聴くことは大事な牧会の務め」と述べ、記念会についても「具体的なグリーフワークのプロセスになる」とし、「そうした交わりの中で、死者も生者も主のものであるということを確認し合うことができれば」と語った。

 『エンディングノート――愛する人に遺す私のノート』(キリスト新聞社)の著者である木村氏は、母が亡くなる前に遺した1冊のノートが同書を発行する契機になったと述べ、自身が海外で経験した笑いに溢れた葬儀の実例も挙げながら、「生前、どんなに大切な人だったかということを遺族に知ってもらうことがわたしたちのできる最後の贈り物」という参列者の言葉を紹介。明るさと希望のあるキリスト教葬儀の特徴について語った。

 また、エンディングノートは「愛する人に遺す贈り物でもある」とし、実際に書く上での留意点について具体的に解説し、「肩肘はらずに書けるところからか書き込んでみては」と勧めた。

 2009年7月に改定された臓器移植法により、本人の意思表示がない場合でも家族の同意があれば移植が可能となったことにも触れ、「わたしたちには生きる権利と共に、尊厳ある安楽な死を迎える権利がある」と強調し、延命措置を受けるかどうかなどについても、自らの希望を表明しておくことの必要性を訴えた。

     ■

 会場からは葬儀についての質問が相次ぎ、仏教でも安易に「天国」という言葉が使われていることを危惧する声や、「死を個人の者としてだけでなく、教会の業としてとらえる視点が必要ではないか」と指摘する声も出された。

特集一覧ページへ

特集の最新記事一覧

TO TOP