日本聖公会東北教区 仙台に支援オフィス 地域教会の活動支える 2011年6月25日

 大震災から3カ月を迎えた6月11日。日本聖公会東北教区は、主教座聖堂・仙台基督教会(宮城県仙台市)で地震によるすべての逝去者、困難のうちにある人々を覚える記念聖餐式を行った。

 同教会は建物の老朽化と耐震性への不安から使用できないため、礼拝は現在も隣接する教区会館で行われている。直後から緊急支援の要となってきた対策本部は、このほど新たに事務所を構え、本格的な支援体制を整えつつある。聖公会の取り組みを追った。

被災者と〝共に歩こう〟

 「いっしょに歩こう!プロジェクト」――日本聖公会による被災者支援活動は、そう名付けられた。方針には、「困難を負って生きる人々に敬意を払」い、「被災地の方々の生活と地域の再創造に向けて」、「主イエス・キリストが、共に歩いてくださることに励まされて一緒に歩きます」と明記されている。

 事務局長の中村淳氏(管区宣教主事)は、その意図について「『復興支援』という上に立った見方ではなく、イエス様の歩かれた道をたどるように、被災者の方々、困難な中にある方々に寄り添い、共に歩いていきたい」と話す。中村氏はこの春、東京教区の聖マルチン教会(東京都板橋区)に赴任したばかりだが、今後2年間の予定で同プロジェクトの責任を担うこととなった。

 震災後、緊急支援として必要な物資を集積、配布してきた聖公会では、被災教区の負担を軽減するためにも、新たな体制の下で組織的に取り組む必要性が検討された。4月14日の常議員会、29日の第1回運営委員会を受けて、仙台に支援オフィスを設けることが決められ、同プロジェクトがスタート。

 それまで教区会館内に間借りしていた支援拠点を正面のビルの一角に移し、5月6日の聖餐式により「仙台オフィス」として正式に開所した。今後は専任のスタッフ数人を有給で雇い、ボランティアも募る。

 また、日本福音ルーテル教会も同事務所で協働しており、世界の聖公会、関係学校・施設、他教派の教会とも連携していく用意があるという。

 中村氏はオフィスが第一義的に考える役割として、「かつての教会が、修道院が、巡礼者を受け入れ、宿と食事を提供したように、イエス様が泣いている人、苦しんでいる人の傍らに立たれたように、そのようになさろうとしている東北教区の活動をお支えすること」を挙げる。

 教会から見える範囲で活動が行われることの意義を尊重してきた加藤博道主教(東北教区)は、大規模な支援と同時に信徒の「素人性」も大事にしたいという。

 「最後まで地域に残るのは現地の教会員です。震災直後も、地元の信徒が地域のために奮闘してくれました。やはり、顔の見えるつながりが基本。災害支援のプロのようにはできなくても、ローカルで小さなレベルからでも動いていく必要があります」

     ◆

教区の壁越え司祭ら応援

 東北6県にまたがる東北教区の教会は、伝道所を含めて24。現職の司祭は10人。複数の教会を兼任する例は珍しくない。

 5月末、郡山聖ペテロ聖パウロ教会(福島県郡山市)で行われた合同聖餐式には、県内の教会員らが一堂に会した。いずれも、毎週の聖餐式もままならない小規模教会の信徒ばかり。他教区から支援に駆けつけている司祭や信徒らも参加した。

 礼拝後には昼食を囲みながら、それぞれ被災当時の様子や現状などを報告し合った。福島県では原発事故の影響もあり、地域によって被災状況がまったく異なる。

 同教会付属のセントポール幼稚園は、園児の3分の1が避難のため登園していないものの、職員が毎日園舎内外を除染しながら他の子どもたちを受け入れているという。

 郡山市と同じく高い放射線量が記録されている福島市在住の信徒(福島聖ステパノ教会員)は、「目に見えない脅威に胸を痛める日々。震災以降、屋外には洗濯物を干していない。わずかな教会員も教会に足を向けにくくなったが、久々に大人数の礼拝に参加できて励まされた」と喜びをかみしめた。

 車を運転しながら津波に巻き込まれたという信徒(小名浜聖テモテ教会員)は、ドアを押し開けて脱出したものの胸の高さまで水位が上がり、車体に捕まったまま30~40分、海水が引くのを待ち続けた。当時の状況を振り返り、「津波の被害が大きかった現場には、まだ行く気になれない」と言葉をつまらせた。

 日本聖公会での人的被害は、亡くなった信徒が1人と行方不明者が2人。しかし、信徒自身を除けば、家族、親族が亡くなったという例は少なくない。

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 これまで、「教区の壁が高い」と言われてきた聖公会だが、今回の震災で新たな「つながり」も生まれた。岩手の釜石には北海道から、秋田には横浜と東京から、福島の小名浜には神戸・京都・大阪から、郡山には北関東から、それぞれ司祭たちが応援に駆けつけた。

 釜石神愛教会(岩手県盛岡市)付属の保育園に住み込みで支援に入った北海道教区の司祭らは、給油の列に並んだり、届いた物資の仕分けをしたりしながら、職員が保育に専念できるよう協力したという。

 震災後の教訓をふまえ、加藤氏がたどり着いた「教会が継続してできる支援」は、「想像力を失わないこと」「顔の見える関係を保ち続けること」の二つ。

 「集まったさまざまな人が、さまざまな仕方で支援できるというのが教会の強みでもあります。信仰も瞬発力ではなく腹筋力。いかに粘り強く働き続けることができるか。そこに、これからの日本の教会の課題があると思います」

(写真上)現状を報告しあう福島県内の教会員ら
(写真中)「仙台オフィス」の掲示板に書かれたメモ
(写真下)津波で胸まで浸かったという信徒

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