奥田知志(ホームレス)支援×上田紀行(『がんばれ仏教!』) 宗教者は何を語るか 2011年10月15日

 震災後、時を同じくして2冊の新刊が世に出た。『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)と『慈悲の怒り──震災後を生きる心のマネジメント』(朝日新聞出版)。著者はそれぞれ、ホームレス支援を20年以上続ける傍ら、被災地に入り、東日本と九州をつなぐために奔走し続ける奥田知志さん(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師)、『がんばれ仏教!』(NHKブックス)以来、若手仏教者の育成にも尽力してきた上田紀行さん(文化人類学者)。3・11 後の日本と宗教界を憂う2人が、都内のバーで夜通し語り合った。

震災後の今こそ変わらなければ
――新著『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)の出版記念会では、「傷つかない絆」への懸念を強調されていました。

奥田 絆を結ぶと傷が癒されますよとか、痛みが取れますよとか、確かにそういう面もあるけど、絆を結ぶと傷つきますよ、うっとうしいし、自分のペースも乱されますよと、正直に教会が言う。でもそれが恵みだと。そういうものが捨象された麗しい幻想の絆が、いま日本中で言われているような感じがするんです。
 本来、人が独りで生きるということと絆の中で生きるというのは両義的なものだと思っています。それらを通り越して、「日本は一つだ」とか「がんばろう」と言うのは危ないと思います。
上田 僕が『慈悲の怒り』を緊急出版しなければいけないと思ったのも、あの「がんばろう」攻勢ですよ。ただ思考停止させる心地の良い言葉となって、結局不安に向き合わない。いま何が問題なのかということを隠蔽する言葉でしかない。
 そういう歪んだ絆のあり方が、原発を生み出したわけじゃないですか。この絆を失ったら生きていけないという恫喝のような絆。でも、そこで本当に絆の質を問わなければいけない宗教者が絆と聞くと、「とうとう心の時代が来た」とか言って喜んじゃうんですよ。
奥田 今回の震災ではかなり情報が抑えられて、健全な怒りも、健全な形での失望感さえない。へたすると不安さえも軽減されている。これは危ないと思いますね。
上田 放射線に関する発表にしても、パニックを避けるために、予測を軽々しく発表することは控えたと言われていますが、実際には正しい数値が出ていたわけで、完全に犯罪的と言ってもいいレベル。
 不安の輪が起こってくれば、それを軽減させたほうがいいと自然に考えてしまうわけですが、不安になってそこからどういう行動をするかというところが勝負なわけで、不安にすることを恐れて現実を捻じ曲げていくという構造自体が大きな問題をもたらしている。
 僕が提唱した「癒し」というのは、病気にならないでニコニコしていましょうというんじゃなくて、まずは徹底的に病むところから始まる。病むというプロセス自身が癒しになる。結局、癒しが起動しないようにごまかしているので、みんな病まない。
奥田 まさに、病まないという病ですね。
上田 やはり宗教者の側からも、そういう誤解を解かなきゃいけないはずなんだけど、何となく現代社会における有用性とか、大学の先生みたいに「社会のお役に立ってますよ」ということを言わなきゃいけない。世間から「そんな無駄なことを」と言われるんじゃないかという恐れが強すぎて、実用的なことを言い過ぎてますよね。
奥田 苦難をなかったかのようにすることが宗教の役割だと言ってしまったら、それは宗教でもキリスト教でもない。ちゃんと裁くことがないまま、一気に「赦し」に行ってしまう。
 今回の震災状況も、いつの日か新しい命へ向かうという希望を持ちつつも、いま大事なのは、まさに上田さんが『慈悲の怒り』で指摘されているように、どこまで被災地の痛みを共に苦しみ、分からないというところに一緒に立つかということ。
 何度か被災地と行き来をする中で、「九州から東北へ希望を届けよう」というフレーズに違和感を抱くようになりました。希望は九州か霞ヶ関にあって、それを「東へ」届けようと。確かに支援は必要ですが、むしろ方向が逆。「東から」じゃないかと。
 キリスト教の悔い改めというのはもともと「メタノイア」ですから、方向を変えるという意味。元気な人が希望を届けるんじゃなくて、本当の再出発は「東へ」ではなく「東から」見出されるんじゃないか。つまり、復興における悔い改めをしないとまずいんじゃないかと。
 いま、宗教者の多くが苦しんでいると思うんですよ。何のための神さまかと。この期待が裏切られたところから、果たして教会は新しくなれるか。それこそ、出来合いのパラダイスがあって、「あなたもこっちに来たらこんなに幸せになれますよ」という福音提供はもう通用しない。そこで初めて、真剣に聖書を読み始めるんじゃないかなという期待はありますね。ここでなお旧態然として話していたらキリスト教に明日はないんじゃないですか。
上田 それはそのまま、仏教や他の宗教にも言えますね。宗教ってこういうときにこそ何かをしなきゃいけないのに、それに背を向けた姿を見せてしまえば、「そんなものか」と見放される。みんな宗教教団は嫌いだけど、宗教性や「絆」といったものはすごく求めている。
 仏教界でも、これがラストチャンスで、いま何もしなければ完全に見放されると言っている人たちが動いています。若いお坊さんを被災地に送れば、彼らの教育にもなるし、そこで立ち尽くすだけでもいい。そんなところで、出来合いの法話がいかに無力かということが分かるだけでも価値がある。何かを話すことよりも、まずは言葉を失うことのほうが大事だと思います。

 おくだ・ともし=1963年滋賀生まれ。90年から日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師。同年、ホームレス支援組織北九州越冬実行委員会に参加し、2000年にNPO法人北九州ホームレス支援機構設立、理事長に就任。07年から九州ホームレス支援団体連合会代表。ホームレス支援全国ネットワーク代表。

 うえだ・のりゆき=1958年東京生まれ。1986年からスリランカで「悪魔祓い」と仏教思想に基づく農村開発運動「サルボダヤ」を研究。近年は、宗派を超えた若手僧侶の討論の場「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」のアドバイザーを務める。東京工業大学大学院准教授。著書に、『今、ここに生きる仏教』(平凡社)、『生きる意味』(岩波新書)など。

(構成・松谷信司/撮影・春田倫弘/協力・クリストファー)
*対談の全文は10月10日発行の「Ministry」(秋号)に掲載。

【Ministry】 特集「ボクシたちのリアルⅡ」 11号(2011年9月)

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