聖学院大学総合研究シンポ 神学的にどう受け止める? 2011年11月19日

 聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター(埼玉県上尾市)は、「東日本大震災を神学的にどのように受け止めるか――信仰と教会の再建のために」と題するシンポジウムを10月28日、東京都北区の女子聖学院で開催した。窪寺俊之氏(聖学院大学大学院教授)がコーディネーターを務め、柳谷明(日基教団山形六日町教会隠退牧師)、大木英夫(聖学院大学大学院長)、小友聡(東京神学大学教授)、平山正実(聖学院大学大学院教授)の4氏がそれぞれ「被災地」「組織神学の立場」「聖書」「死生学の観点」から発題。約150人の参加者が耳を傾けた。

「壁のない教会」こそ
 3月に山形六日町教会を隠退し、現在岩手県釜石市に在住の柳谷氏は、同氏の次男が牧師を務める日基教団新生釜石教会の被災状況を報告。津波直後から大勢のボランティアが殺到し、教会内に多い時で60人ほどが寝泊りしていたこと、牧師館前のテントでは、お茶が振舞われ、被災者が苦悩や悲しみを話したり、体を休める場所になっていたことなどを振り返った。会堂内部は、波に浸かった天井や壁、床がはぎ取られたが、文字通り「壁のない教会」こそが目指すべき姿であるとし、宗教間、被災者・非被災者間、地域住民と教会員との間に壁がなくなることが理想だと述べた。そして、教会は3・11以前の状態に戻ることを求めるのではなく、「この痛みを負った経験を生かし、他者の痛みを知り、それを共に担うことのできる教会として新たな出発をすべき」と話した。
 大木氏は、「巨大な数の『死』を忘れた『復興』とは何であろうか」と問い、震災という「巨大な死の出来事」を「我がこと」として主体的に背負い、そのようにして神と対面することから新しい日本の神学が始まると主張。「被災地日本の『復興』とは、その基本として人間の『復活』、新しい人間の立ち上がりであろう。それはスカイツリーの工法に用いられた『心柱』、キリストの心柱をもって立つ新しい人間である」と語った。その上で、「新しい社会、新しい国家、すべてを根本から再検討、再構築することは、驚天動地日本に対する神のせまりであった」と述べ、「教会は、キリストの隣人愛の戒めを守って、この先はキリストの『岩上』に『頑丈』な日本を再建することに参与せねばならない」と結んだ。
 小友氏は、経済効率と豊かな生活の維持が求められていた日本社会が震災後一変し、「メメント・モリ(死を覚えよ)」という教訓が身近になり、家族や地域とのつながりが強く意識されるようになったと指摘。この状況を『コヘレトの言葉』と重ね合わせ、同書が提案する生き方を「建設的悲観論」と呼んだ。これは「最悪のシナリオを考えた上で、今、何をなすべきかを考える」ことであり、しかも「いつでも分かち合い、自分の持てるものを手放す、という決意を示す」ものだとし、そこから今を見直し、共生を考えることは、現代的な意義を持つ生き方だと語った。最後に『ヨブ記』に触れ、同書で大切なことは、「不条理の現実の中で思考を停止しうずくまってしまうのではなく、神の問いかけに対し自ら答えるために前に進むべきだ、ということ」「解決がつかなくても、苦しみを背負いながら涙を拭いて生きること」だと述べた。

神の問いに応えなければ……
 平山氏は、今回の震災が、「想定外のことが起こりうること、そして人間の思考の限界性と死の神秘性について気づかされ、自らの精神性を覚醒させる契機となったのではないか」と主張し、神・自然・人間・闇の関係性について論じた。また、海のそばの「辺境」の福島原発から、電気という人工的な〝光〟が都会に送電されてきたことを、イエスが辺境の地であるガリラヤ湖のそばで、人類に光を与える宣教を始めたことの象徴として受け止め、イエスの第一声が「悔い改めよ」であったことから、「今なお震災の苦しみから立ち直れていないわれわれを含めた被災者の方々も、これまでの発想を転換(悔い改め)することによって、将来に対する希望があると示唆され、勇気を与えられる」と語った。
 「今回の震災を『神の裁き』と短絡的に考えてはならないのか」との会場からの問いかけに対しては、「結局は人間の問題に還元し、そこから考え直さなければならない。『死ぬべきもの』であることを記憶しなさいということ。そこから考え直さないと今の問題は取り組めない」(大木氏)、「震災を起こしたのが神かどうかを問うても、そこには何も生産的なものは生まれてこない。『分からない』としか言いようがない。ただ、このことによって神さまはわたしたちに問うている。それには答えなければならない」(小友氏)、「自由が与えられ、この世界をよりよく動かしていく責任はわたしたちにあるのであって、こういう影響が起こったから責任を全部神さまに(押し付ける)というのは当たらないのではないか」(柳谷氏)、「問う存在から問われる存在への転換が必要。理由は分からないけれども、自分が今何をしていくことが必要なのかをきちんと踏まえて主体的に生きることが大切。われわれの理性や感性の限界性、死の神秘性を謙虚に受け入れるべきではないか」(平山氏)との応答があった。

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