大阪「教育基本条例案」に反対 超教派で170人が集い 2011年12月3日

 「大阪維新の会」が「強制」の条例化をねらう地元大阪では、10月31日、日基教団東梅田教会(大阪市北区)で「大阪府『君が代』強制条例に反対するキリスト者の集い」が開かれ、関係者ら約170人が参加した。日本キリスト改革派西部中会世と教会に関する委員会、日本基督教団大阪教区社会委員会、日本長老教会社会委員会、日本同盟基督教団「教会と国家」委員会、日本ホーリネス教団福音による和解委員会、福音交友会社会部が共催。
 「キリスト者として日の丸・君が代を考える」と題して講演した袴田康裕氏(日本キリスト改革派園田教会牧師)は、「公権力とどう対峙するかが宗教改革にとって切実な課題であったように、『日の丸・君が代』も教会と国家の問題として考える視点が必要」とし、「ただ神のみが良心の主である」(ウェストミンスター信仰告白)と告白するなら、「国家が国民の良心に介入しようとしていることに対して無自覚であってはならない」「教育権は両親にあるというのが聖書の基本的な教え」と、信仰的立場から強制を拒む必要性を説いた。
 続いて「日の丸・君が代」が国家統制のシンボルとして利用された歴史と、戦後の教育現場で義務付けられるに至った経緯を概観。同一の職務命令に3回違反した者を即免職とする「教育基本条例案」は、教育への政治介入に道を開き、知事の権限を肥大化させる、と問題点を指摘した。
 最後に、元府知事の橋下徹氏とアドルフ・ヒトラーの手法との類似性にも触れながら、マルティン・ニーメラーが彼に福音を告げられなかったことを悔いたように、「自らを善の側、彼らを悪の側において批判するのではなく、聖書に依拠して言うべきことを言うと同時に、神の前に負うべき責任を背負うという姿勢も失ってはならない」と結んだ。
 一般的な「良心の自由」と「キリスト者の自由」の違いについて問う質問には、「確かに違いはあるが、現実の状況下では、憲法がキリスト者として闘うための武器になり得ることは確か」と答えた。

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