政治学者・姜尚中氏が立教大学で講演 「幸福主義」の粉砕を 2011年12月10日

 政治学者の姜尚中氏(東京大学大学院教授)が「現代における受苦的存在の意味」と題して11月26日、立教大学(東京都豊島区)で講演を行った。同大学のキリスト教学研究科とキリスト教学会が講演会を主催し、学生や教員を中心に、約100人が参加した。1987年に日基教団上尾合同教会(埼玉県上尾市)で受洗した姜氏。外国人登録証の指紋押捺を拒否した際に同教会の支援を受けたことを明かし、当時の牧師・土門一雄氏に影響を受けたことを振り返りつつ、「『神を愛するゆえに我あり』というのではなく、人とのある種のパーソナルな関係で教会に通うようになった」と前置きした。

「意味」の追求が人間たるゆえん
 福島の原発事故に言及した姜氏は、日本列島全体でセシウムが観測されていることに触れ、長期の低線量被曝による影響を懸念。福島の被曝者に対する差別が今後起こる可能性を憂慮しながら、「どうしてこのようなことが起きるのか、『なぜ』と問わざるを得ない。ましてや自分が当事者になった時にはなおさらそう思う」「必然的に『意味』というものを考えざるを得ない」と述べた。
 10年以上にわたり自殺者が毎年3万人を超えている状況に対しては、「宗教家は何をやっているのだろうか」と述べつつ、今後被災地でも自殺者が出てくることを懸念。ヴィクトール・フランクルの言葉「実存的空虚感」を挙げ、「今、その状況に近い事柄が起きているのではないか」と指摘した。
 その上で、今の社会は「皆がやるから自分もやる」という他人指向型の社会であるとし、「自分で『意味』と向き合うことが難しい」「自分の尊厳を持てない。だからこそ自殺に走る人が増えているのではないか。自分がモノ化しているということを痛切に感じざるを得ない状況」と、マックス・ウェーバーや夏目漱石を引用しながら分析。フランクルの主張をもとに、「『意味』を求めるところにおいて、われわれはモノではない。人間の人間たるゆえんはそこにある」と論じた。
 また、「幸福主義」が深く根をおろしているとし、「信仰というもの、少なくともキリスト教で考えれば、『幸福主義』を粉砕するところに、旧約・新約の最大の眼目があった」と強調。『ヨブ記』を取り上げ、「『幸福主義』は必ず応報思想と結びついている。それを超えた時に初めて信仰の扉が開く」と主張した。
 さらに、「自分だけを見つめている人間は『意味』が見出せない。『意味』を見出すためには自分を超えなければいけない」として、他者との結びつきを重視。生業を持つことは、他者から承認を受けることだとし、若者が職を得られない状況を案じ、「この根幹が崩れていくと、わたしたちの社会は『意味』が見出せないし、他者との関連を持ち得なくなる」と述べた。
 「信仰に関わる問題と社会に関わる問題、この重層的な問題を3月11日以降は考えていかなければいけない」と語った姜氏。「キリスト教や仏教、さまざまな宗派・宗教を問わず、それが地域や社会の中の中間集団としてその役割を果たしていく社会であれば、これほどまでに自殺が増えるわけではないと思う」と結んだ。

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