映画「〝私〟を生きる」東京・大阪で限定公開 普遍的に生き方を問う 2012年1月21日

 大阪で「君が代」斉唱を義務づける条例が提出されるなど、教育現場での「統制」が推し進められる中、強制に抗う3人の都立学校教師を追ったドキュメンタリー映画「〝私〟を生きる」(土井敏邦監督/2010年/日本/138分/配給=浦安ドキュメンタリーオフィス)が、1月14日から2週間限定で上映されている(連日12時50分より1日1回)。

 昨年末に都内で開かれた記者会見には、土井監督=写真左端=と出演者である土肥信雄(元三鷹高校校長)、佐藤美和子(小学校音楽科教員)=写真右から2人目=、根津公子(元中学校家庭科教員)の各氏が出席し、映画への思いを語った。

〝言論の自由は平和に不可欠〟

 同作は、戦前への回帰を思わせる都教育委員会の弾圧に抗い、「自分が自分であり続ける」ために、〝私〟を貫く3人の生き様を描く。カメラは、教師としての日常と孤高に闘う不屈の姿を淡々と映し出し、関係者による膨大な量の証言から、上意下達で挙手・採決が禁止された職員会議など、徹底して管理・統制された都立学校の現状を浮き彫りにする。

 度重なる「不起立」への処分で免職が危ぶまれつつも、昨年の3月に定年退職を迎えた根津氏は、家庭科の授業で性差別や「慰安婦」の問題を重要なテーマとして取り上げてきた。懲戒処分の期間中も毎日校門に立ち、生徒たちに声をかけ続けた。「君が代」で立てなかった心境を、「大陸で中国人を刺せと言われた兵士と、起立を迫られる自分とが重なった」と振り返る。

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 祖父も父も牧師という家庭で生まれ育った佐藤氏は、キリスト者の立場から卒業式での「君が代」伴奏を拒否。2004年には、卒業式における強制に際してリボンを着けたことに対する処分の不当性などを訴えた「ピースリボン裁判」の原告となった。極度の精神的苦痛により、一度は命を絶つことすら考えたという佐藤氏だが、裁判を通して再び生きる喜びを取り戻したという。

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 障がいのある子を受け持った経験から、基本的人権と平和主義を自身のモットーとして教えてきた土肥氏は、3人の中で唯一の管理職。法令遵守の精神で「日の丸・君が代」の通達には従ってきたが、都教委の意に反する発言が問題視され、厳しい「指導」を受ける。

 生徒や保護者から慕われてきたにもかかわらず、定年後に受けた業績評価は全項目で「オールC」。選考対象となった790人のうち、最下位の評価だった。恣意的な報復人事の不当性を訴えて、09年6月に提訴。「言論の自由がない社会は平和ではあり得ないし、それは戦前の日本を見れば明らか」と土肥氏は言う。

 

〝子供は本当のこと知りたい〟

 現役で教師を続ける佐藤氏は、音楽の授業で必ず「君が代」について触れ、言葉の意味から歴史、異なる立場のさまざまな意見についても紹介し、「立たない人、歌わない人を悪く言ってはいけない。それは個々人の選択であり、憲法で保障されていること」と話している。
 この日の会見では、「子どもたちは、先生に本当のことを話してほしいと望んでいる」と語った。かつて性について正面から話をした際にも、「今まで誰もそういう話をしてくれなかった」と話してくれた6年生がいたという。

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 長年、ジャーナリストとしてパレスチナの現状を取材してきた土井氏がなぜ、国内の「教育問題」に焦点を当てたのか。監督はこう答える。

 「わたしは『日の丸・君が代』の問題を論じようとしたのではない。もし同じ教員の立場だったら、どう行動したかと自問しながら制作した。組織の論理と個人の良心が対立するという問題は、教育現場に限ったことではない。より普遍的な人間一人ひとりの生き方を問うのがこの映画の主題であり、その意味では、これまでに撮った作品と視点は同じ」

 今月には根津氏の「君が代」不起立に伴う停職処分取消訴訟の最高裁判決と、土肥氏の非常勤教員採用拒否訴訟の地裁判決が予定されており、その行く末に注目が集まっている。

 映画は27日まで東京・オーディトリウム渋谷で、28日~2月17日は大阪・シアターセブン(~10日=10時30分~12時48分、11~17日=19時~21時18分)で限定ロードショー。詳しくは公式サイト(http://www.doi-toshikuni.net/j/info/ikiru.html)まで。

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