メソジストの初代監督 本多庸一召天100年 東京で記念行事 「〝和〟を担って前進」 2012年4月21日

 日本メソジスト教会初代監督、青山学院初代日本人院長として明治期のキリスト教に尽くした本多庸一の召天100年を記念して3月25日、日基教団本多記念教会(東京都渋谷区)で「キリストの平和」と題する記念行事が行われた。関係者を含め約120人が出席した。

 当日の礼拝では深町正信氏(青山学院名誉院長)が「主に立ち帰れ」と題して説教。続く記念コンサートでは、青山学院オラトリオソサエティー合唱団OB会が、同学院のスクールカラーである緑色のネクタイとスカーフという装いで、メンデルスゾーン「エリヤ」より7曲を披露した。

 記念シンポジウムでは、深町氏に加え、嶋田順好氏(青山学院宗教部長)、ポール・土戸・シュー氏(合同メソジスト教会宣教師、青山学院大学宗教主任)がそれぞれ、「日本メソジスト教会の誕生と本多庸一先生」「炎の伝道者本多庸一先生」「本多庸一――日本伝道と宣教師」と題して発題。

 日本におけるメソジスト教会の伝道の歴史を概観した深町氏は、理想と現実を丁寧にすり合わせることができる本多のような人物が今日の日基教団にも必要だとする意見を述べた。嶋田氏は、内村鑑三や井深梶之助などの人物評から「武士としての本多庸一」に着目した。

 進行役を務めた同教会牧師の梅津裕美氏は、本多が身に着けていた剣術流派の「小野派一刀流」に注目し、「本多には相手をよく見る冷静さとそれにどう対応するかという技(知恵と行動力)があり、メソジスト三派合同においても、また宗教教育を禁じる『文部省訓令12号』への対応においても、その士道が生かされたのではないか」と締めくくった。

 当日は、同教会が所蔵する本多庸一の書8点と肖像画が展示された。同教会は、本多の甥である阿部義宗(日本メソジスト教会監督、青山学院院長)と13人の信徒により1953年に「渋谷氷川伝道所」として創立。65年に現在の地に教会堂が建設された際、かつての「日本メソジスト本多記念青山教会」再興への祈りを込めて、名称を「本多記念教会」とした。

 今回の記念行事は、メソジスト宣教団体の三つの流れ(カナダ・メソジスト教会、米国メソジスト監督教会、米国南メソジスト教会)を一つにまとめた「和」の人として本多の働きを振り返りつつ、宣教について考え、研鑽を積む機会にしたいとの願いから、牧師・宣教師を講師に招いて開催された。梅津氏は、「これからも主にある『和』を担う教会として前進していきたい」としている。

 本多庸一(ほんだ・よういつ、1848~1912年)=津軽藩(青森県)弘前の生まれ。1872年、横浜で宣教師ジェームズ・H・バラから受洗。75年、故郷弘前に弘前公会を創設。東奥義塾塾長として教育に従事する一方、青森県会議員・議長として地方政治に活躍した。渡米中に教育と宗教に生涯を捧げることを決意。90年、東京英和学校校長(後の青山学院院長)に就任。1907年、日本メソジスト教会創立とともに初代監督に就任した。

 

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