日本メソジスト教会初代監督 本多庸一召天100周年 青山学院が記念式典 2012年6月2日

〝日本伝道は日本人の手で〟

 青山学院第2代院長(日本人最初の院長)で、日本メソジスト教会初代監督である本多庸一の召天100年を記念する式典(礼拝とシンポジウム)が5月19日、同大学本多記念国際会議場(東京都渋谷区)で開催された。遺族や関係者など約350人が出席した。

 礼拝では同学院名誉院長の深町正信氏が「神に選ばれし器」と題して説教。〝キリスト教によって新しい日本を建設する〟〝日本の伝道は日本人の手で〟〝自給自足の教会・働きを考えるべきだ〟とした本多の姿勢に注目し、「今もなおわたしたちに訴えられる大切な課題の一つ」と述べた。

 本多の言葉「希(ねがわ)くは神の恵により我輩の学校より所謂(いわゆる)Manを出さしめよ」をテーマに掲げたシンポジウムでは、氣賀健生氏(同大学名誉教授)が、「本多庸一の信仰と生涯」と題して基調講演を行った。同氏は本多を「人格においても人柄においても大きい人」「明治の終焉とともにこの世を去った本多先生はまさに明治人であった」と述べ、その生涯を「生い立ちから青年時代」「横浜留学とキリスト教入信」「弘前時代」「アメリカでの転機」「青山学院院長時代」「日本メソジスト教会監督時代」の6期に分けて解説した。

 パネルディスカッションでは、嶋田順好氏(同学院宗教部長)を進行役に、深町、氣賀、酒井豊(同大学教育人間科学部長)、梅津裕美(日基教団本多記念教会牧師)の各氏がパネリストとして発題した。

 深町氏は、「日本メソジスト教会の誕生と初代監督の本多庸一先生」と題し、伝道者としての本多に着目。1907年、青山学院を会場にした協議会で、本多が米国メソジスト監督教会、米国南メソジスト教会、カナダ・メソジスト教会の日本における三派合同を果たし、日本メソジスト教会を設立するとともに初代監督に選任されたことに触れ、「この学校がメソジスト教会の信仰と伝統を継承する大事な日本における教育機関の一つだということを深く覚えたいと思う」と語った。

 酒井氏は、1891年に開催されたジョン・ウェスレー逝去100年記念演説会での本多の演説「メソヂストの特徴」に着目。また、本多の「私立学校の必要」(1893年)という文章を取り上げ、帝国大学の目的規定に対する本多の否定的姿勢の表れとして重視した。

 「本多庸一の女性観」と題して発題した梅津氏は、本多の妻貞子の活躍や、青山学院のルーツが1874年の女子小学校にあることに言及し、「本多を初めとする武士出身のキリスト者が、明治期の厳しいキリスト教批判にさらされながらも、新しい女性観、新しい家庭観を持って、それまでの武士社会にはなかったキリストの教えによる人格共同体を日本に作るという高い志を実践した」と論じた。

 同日、同会議場ロビーに設置された本多庸一の胸像の除幕式が行われ、安藤孝四郎(同学院理事長)、山北宣久(同学院院長)、吉岡利忠(弘前学院大学学長)、村岡博史(日基教団弘前教会牧師)、大村栄(更新伝道会牧師)の各氏が参列した。

 同大学間島記念館展示室では11月末まで、「本多庸一先生召天100周年記念資料展示」を行っている。7月末までの公開日は、毎週月・火・水(休日除く)の午前10時~午後4時。8月以降は未定。右記以外の曜日・時間での閲覧については、同学院資料センター(℡03・3409・6742)まで要相談。

 本多庸一(ほんだ・よういつ、1848~1912年)=津軽藩(青森県)弘前の生まれ。1872年、横浜で宣教師ジェームズ・H・バラから受洗。故郷弘前で東奥義塾を再興し、弘前公会を創立。青森県会議員・議長として地方政治にも活躍した。渡米中に教育と宗教に生涯を捧げることを決意。90年、東京英和学校校長(後の青山学院院長)に就任。1907年、日本メソジスト教会創立とともに初代監督に就任した。

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