〝信仰が本物か問われている〟 芳賀力氏 キリスト教文化講演会=教文館主催 2012年7月7日

 教文館キリスト教書部が主催するキリスト教文化講演会が6月9日、ウェンライトホール(東京都中央区)で開催され、約120人が参加した(日本キリスト教文化協会、キリスト新聞社後援)。第16回となる今回の講師は、小社から『神学の小径Ⅱ』を上梓した芳賀力氏(東京神学大学教授、日基教団東村山教会牧師)。

 「神への問い――揺れ動く時代のただ中で」と題して講演した芳賀氏は、近代における「世界観としての世俗化」の流れに対し、神への信仰、宗教がもつ可能性について著書の内容も交えながら解説した。

 同氏は、世俗化の過程を「未熟な宗教的世界観を脱して成人していく過程」とする捉え方に対し、「神なしに成熟した人間、成熟した社会になれると考えるのは啓蒙主義の幻想」と断じ、宗教を「個人の小児的強迫神経症の投影体系」「社会にたまる不満のはけ口」とする社会学的な説明は一面的に過ぎないことを論証した。

 また、カール・バルトがキリスト教自身に向けた宗教(的自己満足)批判を例に、「啓示の出来事の中で実在となる神関係とは、何人も否定することのできない万人にとっての根源的現実」だとし、客観的な「神の世界開放性」は主観的な「世界の神閉鎖性」よりも強く、無神論か宗教かという問題は意味のない二者択一になると述べた。

 「宗教的なものは、決して一部の人々の特別な関心事ではないし、特に信心深い人の心のなぐさみではありません。それは万人が生きるのに必要不可欠な、最も人間らしい活動、神の前で人間を人間たらしめるもの、自然よりももっと自然な根源的現実です」

 さらに、「外国の宗教」と見られていたキリスト教に普遍的な真理を見出した明治期の日本人として、内村鑑三と植村正久の例を紹介。いずれも、普遍的な真理を担うキリスト者の道を歩もうとしながら、「贖罪のキリスト」を諸宗教の普遍的成就として見据えている点を指摘。「今日でもキリスト教は『外国の宗教』だと思われているが、仏教の開祖であるブッダもインド人であることを考えれば対等」と話した。

 最後に、東日本大震災で先鋭化された「神への問い」をめぐって、「私たちの信仰が本物かどうか問われている。苦難は神関係を純化・濃密化し、救済への問いを目覚めさせ、義認と聖化に与らせ、世界を救済待望的にする」と加えた。

 終了後、参加者からの質疑に応じた芳賀氏は、出版界における「キリスト教書ブーム」について、「決してマイナスではない。たとえ害があってもないよりはいい。もし誤った情報があれば、それを正していく使命が私たちにはある。ただ、手法がストレート過ぎて伝わらないという場合もあるので、より広く種を蒔いていくための工夫が必要だろう」と言及。

 論争が続く聖餐問題については、「教団でサクラメントの意味をとらえ直す契機になった。問われていることは、真の信仰をもって与るということ。洗礼を形式的なものと見るべきではない。当然の権利として何の問いもなく与るよりは、むしろ『聖餐の恵みに与るにはふさわしくない』と思いながら与る方が尊い。せっかく与えられた形ある恵みを空しい印にしないよう学び続けることが大事」と答えた。

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