日本宣教学会 クリストファー・J・H・ライト氏講演 〝悲嘆と抗議の思い抱き苦悩する〟 2012年7月21日

 日本宣教学会(東條隆進理事長)は6月30日、第7回全国研究会と第8回総会をカトリック幼きイエス会ニコラ・バレ修道院(東京都千代田区)で開催した。会員ら約50人が参加した。今回は、ローザンヌ世界宣教会議神学委員長で旧約聖書学者のクリストファー・J・H・ライト氏を基調講演者に迎えた。

 ローザンヌ世界宣教運動は、1974年にスイスのローザンヌで開かれた第1回ローザンヌ世界宣教会議から生まれた福音派諸教会を結ぶネットワーク。ライト氏は、2005年より同会議の神学委員長に抜擢。2010年に南アフリカ・ケープタウンで開催された第3回ローザンヌ世界宣教会議では、『ケープタウン決意表明』(邦訳、いのちのことば社)をまとめた。近著に『神の宣教――聖書の壮大な物語を読み解く』(邦訳、東京ミッション研究所、2012年)がある。

 「東日本大震災に対する神学的応答――聖書と悪の問題」と題して講演したライト氏は、「悪と苦難は、キリスト教固有の問題」と述べ、「道徳的」悪と「自然」悪を区別し、後者について考察。聖書からは悪の究極的根源について答えを得られないとし、悪を理解できない理由を、「神がその完璧な知恵と徹底的な誠実さのうちに私たちに理解させようと意図している究極的な現実の一部ではないから」と説明した。

 その上で、自然災害に対し、「神の呪い」もしくは「神の裁き」という説明を下すことを否定し、自然災害がなぜ起きるかについての「正しい」説明はないとした。そして、「悲嘆と抗議の思いを抱いて苦悩するしかない」と述べ、ヨブ記、エレミヤ書、哀歌、詩編を例に、神に怒りを抱き抗議することは罪ではないと主張。「嘆きは、答えのない問い、そして説明不能な苦難を抱えて生きるために苦闘している信仰の声」「神はそうした嘆きを理解し、受容するだけでなく、それを表現するための言葉を聖書の中に備えることまでしてくださった」と述べた。

 さらに、こうした異議は、「希望と将来が内に埋め込まれている信仰の枠組の中で」唱えるのだとし、悪が神の被造物の中から完全に絶たれることが聖書の与える希望であり約束だと主張。「悪の絶対的邪悪性」、「神の絶対的善性」、「神の絶対的至高性」を強調し、これら三大真理は十字架において一つになると論じた。

 最後に、今回の地震と津波に対しても「説明」を考え出そうとすることは避けるべきだとし、「泣く人と共に泣くべき」だと主張。「神がキリストの十字架と復活により勝利したゆえに、悪はやがて永久に滅ぼされ、追放されるという確固たる希望と期待を抱いて生きなければならない」と結んだ。

 会場から原子力発電所の是非について意見を問われると、「原子力の技術によって多くの人々が死んでしまうような大惨事になることもあるが、そのことの故に原子力を用いて発電すべきではないという結論には至らないと思っている」と応答した。

〝いのち脅かす力に抵抗する〟

 研究発表では、藤井創(日基教団牧師、酪農学園大学教授)、東方敬信(日基教団牧師、青山学院大学名誉教授)、高柳富夫(日基教団牧師、農村伝道神学校校長)の3氏が発題。

 「宣教のパラダイム転換――放射能汚染国家(エデンの東)で神学する」と題して発題した藤井氏は、3・11の原発事故による放射能汚染と健康被害は「新しい宣教論的出来事」だと述べ、「核・原子力とキリスト教信仰は両立しない」「3・11以降の新しいキリスト者は、西洋キリスト教から決別する、この絶対少数者への狭き門をくぐる」と主張。宣教とは、「苦難の僕」を見出し、これに寄り添う姿だとし、福島の人々、原発作業員の人々と重ね合わせた。

 東方氏は、「震災後の教会共同体の再創造」と題し、日本社会においてキリスト教信仰を社会的責任に生かした人物として、岡山県倉敷市出身の実業家・大原孫三郎に言及。「自分の一生は失敗の歴史であった」という大原の言葉を引用し、「彼は、希望の先取りとしての礼拝共同体あるいは赦しあう友情に参加していたが、希望の先取りと共に、自己の限界をも自覚していたのではないだろうか」と述べ、「『証しの共同体』である教会の『社会的想像力』が生きていた証拠」と強調。「礼拝における『社会的想像力』を共有する証しの教会は、まさに21世紀の福音、『ソーシャル・ゴスペル』を述べ伝える」と論じた。

 高柳氏は、「『塵と灰のことで』3・11後に何を宣教できるのか――ヨブ記42章6節におけるナーハムの訳語をめぐって」と題して発題。42章6節の「それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(新共同訳)という訳に疑問を呈し、「それゆえ、わたしは塵と灰についてのわたしの思いを退け、改めます」と訳出。「因果応報という意味での悔い改めをしているのではない。『塵と灰に等しいこの自分自身についての自分のこれまでの考えを退けて改めます。思いを転換します』と告白している」と述べ、苦難や弱さ、無力の中にあっても、いのちを脅かす力に抵抗していく力が人間にはあると語った。

 同学会はプロテスタント、カトリック双方の教会がそれぞれの違いを尊重しつつ協力し合い日本の宣教を推進することを念願して2005年に設立された。

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