田川建三・大貫隆氏らが講演 国際聖書フォーラムに延べ2千人 2012年7月28日

 日本聖書協会(大宮溥理事長)は国際聖書フォーラム2012「聖書を識(し)る。」を7月5・6日、ホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開催し、延べ2千人が参加した。日本からは田川建三氏(フランス・元ストラスブール大学新約学客員教授)が「ヨハネ福音書と歴史的事実――ヨハネはなぜ史的事実を細かく正確に伝えようとしたか」と題して講演。レセプションでは大貫隆氏(東京大学名誉教授、自由学園最高学部長)が、「遅れてくる了解――死人たちには未来がある」と題して講演した。

  田川建三氏

「史的事実を伝えるヨハネ」

 新約聖書の日本語訳を『新約聖書 訳と註』(全6巻・7冊、作品社)として執筆中の田川氏。現実的な事柄を超えた神学思想を伝える書物として認識されているヨハネ福音書について、その著者に地理的歴史的事実を正確に記そうとする傾向があったことを、具体例を示しながら論じた(各用語の表記は田川氏の用法に準じる)。

 田川氏はまず、ヨハネ19章13節で「敷石を敷きつめた場所、広場」という意味の「リトストロートン」(新共同訳では「敷石」)というギリシャ語に着目し、「リトストロートンと呼ばれる場所」というように、固有名詞として使われていることから、エルサレムの人々の固有名詞的な呼称を念頭に置いてこの場面を正確に伝えようとしたのだと解説。また、6章7節でマルコ6章37節の記述が修正されていることなどを例に挙げ、ヨハネ福音書の著者が微細な知識にこだわる人物であることを指摘した。

 次に、19章19~20節と18章12~13節を例に、「ヨハネ福音書は受難物語に関しては、かなり正確で細かい歴史的な事実を提供しているだろう」とし、その情報源として18章15節の「もう一人の弟子」の存在に注目。「受難物語をマルコよりも正確に書くことができたのは当然」と述べるとともに、「(ヨハネ福音書の著者は)歴史的地理的事実について正確な情報を書こうとする意欲を持っている人物だった」と主張した。

 続いて、1章19~51節の弟子たちの召命についてマルコ福音書と比較し、人物と動機が異なること、イエスの最初の弟子たちがもともと洗礼者ヨハネの崇拝者の集団に属していたことを指摘。また4章のイエスとサマリアの女との会話について、会話の内容は著者の創作であるとしつつも、単に「生きている水」についての教えを提供するだけでなく、同時にイエスがサマリア人と親しく会話をするような人物だったという事実を著者が描きこんでいるのだと主張した。

 さらに、「今現在自分が生きているこの社会の現実に対して、本気になって積極的に向かい合えるだけの取り組む姿勢を持てる者でなければ、過去の歴史の事実を正確に捉えようとする姿勢は出てこない」と述べ、ヨハネ福音書の著者が当時のキリスト教会の現状を批判している個所として4章38節を例示。キリスト教の伝道活動に関わる比喩であるこの言葉は、ペテロを中心とするエルサレムの「十二使徒」集団に対する批判であるとし、使徒行伝8章から、サマリア地方にキリスト教を最初に伝えたのはヘレニストであったと指摘。「エルサレム以外の土地で、ペテロたちが自ら最初に出て行ってキリスト教を伝える活動をしたとはどこにも書いていない」と述べた。

 その上で10章11節に着目し、「ヨハネ福音書の著者の言っていることが、当時のキリスト教会に対する批判として100%当たっているかどうかは別の問題」としながら、ヨハネ福音書の著者が言いたかったこととして、「良い羊飼」がイエスであるならば、羊飼の仕事を代行する「雇われ人」はペテロ一派であり、「羊の群」であるヘレニストが弾圧された時に、「羊の群を残して逃げ出す」のだという解釈を示した。

 最後に、ヨハネ福音書の著者が、この世の現実を超えた超越的真理を伝えることを第一目標としていたことは変わらないと述べ、一方で現実の歴史を書こうとする著者の意識がどのようにつながっているか簡単には説明できないとし、「つながらないものが同居している。これをどう見ていくか。まだこの点についてすっきり説明できるような結論を持っていない」と語った。

 会場から同福音書1章のいわゆる「ロゴス讃歌」について問われると、ヨハネ福音書の著者が洗礼者ヨハネの崇拝者の集団で使われていた詩文を引用して洗礼者ヨハネの話を始める序文としたのだという見解を述べ、「ヨハネ福音書の著者は、ロゴスという理念を自分の神学理念として担ぐつもりは毛頭なかった」と主張した。

大貫隆氏

「死人たちには未来がある」

 大貫氏は、キリスト教の土着化の課題は重要としつつも、欧米のキリスト教会の経験と蓄積から学ぶことは依然多いとした。ただし学ぶだけではなくて同時に、自分自身が他でもない、日本人であることも含めての「私」として、信仰の真理性をどう捉え、どう語ろうとしているのか。自身の聖書研究はどうなっているのか、自分はどのような位置に立っているのか。これらの問いを避けて通ることができないこともまた事実であるとして、自身の著書『イエスという経験』岩波書店、(2003年刊)に沿い、講演に臨んだ。

 大貫氏は昨年3月11日の東日本大震災で、数千にも及ぶ遺体が海岸に打ち上げられたという未曾有の惨事が一つの映像として瞼に焼き付いて離れない。その時最も強く襲った問いは、「彼らがこのままで終わってよいのか」であり、彼らの悔しさがひしひしと迫ってくるようだった。「彼らには、なお未来がなければならない」とした。

 また3・11日以降、多くの宣教者が今なお絶句しているのではないか。不用意な天罰論は論外。説教で1コリント10・13「あなたがたを襲った試練で、……耐えられないような試練に遭わせることは……」を語ることができるとは信じることができない。「罪」と「赦し」についても自分には語れない。今ほど贖罪信仰の限界が明らかになっている時はないと語った。これについて「では大貫さん、あなた自身はどう考えるのですか」との問いには「神は津波で流された者たちと一緒におられたのです。地震と津波は神自身にまで達したのです」とお答えする他はないとし、死人たちには未来があるという、終末論的な信仰でしかあり得ないのではないかと語った。

 大貫氏は講演の中で、『イエスという経験』から、「生前のイエスは神の国について語りながら、過去の死人たちがやがて復活して、来るべき神の支配に与ることを信じていた。原始キリスト教徒たちがイエスの復活を信じたことは、そのまま生前のイエスのメッセージを神が改めて確証してくれたと信じることに他ならなかった」。

 またイエスの歩みの後半からについては、「イエスは自分の身に襲い掛かっている危機(十字架による処刑)の意味を問い続け、深い沈黙に沈み続けました。最期には、十字架上で、神に同じ問いを投げ返しながら絶命しました。解釈学的な視点から言えば、原始キリスト教の復活信仰は、イエスがこの未決の問いを残して行ったからこそ、それに対する解答として成立したのだと考えます。原始キリスト教団は供犠的キリスト教となり、律法の拘束力を打破できずに終わり、この立場から出発したパウロの『十字架の神学』によれば十字架の処刑は、神が独り子を律法によって呪われた死に遺棄した出来事になります。しかし神は、その独り子の十字架と自らを同一化し、そのことによって律法を無効とした。さらに神は、独り子をすでに死から甦らせている。そのことによって、神は死を滅ぼす終末論的な戦いをすでに開始している」と語った。

 さらに大貫氏は自身のイエス論についての、見解の一致について述べた。

 今年の3月にG・タイセン氏により、組織神学者J・モルトマンの著作『十字架につけられた神』に比較し得る視点があるとの指摘があった。タイセン氏の要約は「イエスは本当に神に見捨てられる経験をするのだが、まさにそこにこそ、その死の救いの意義がある」。この著作を読み、幾つもの共感する発言があったという。

 大貫氏は「モルトマンの『十字架につけられた神』は今を遡ること40年前のこと。その見解に対する私の再発見は、何と並外れた晩期でしょうか。何と遅れてきた了解でしょう。『何だ、そんなことも知らなかったのか』というお叱りの声が聞こえてきそうです。研究者としてまことに恥ずかしい限りです。しかしその反面、私の心は晴れやかです。モルトマンを意識しないで、同じ見方に自分が到達したことを密かに喜んでいます。今回のモルトマン再発見の経験に即して思うのですが、ある人がある時唱えた学説が、そうとは知らない別の人が別の時に、それと同じ或いは類似の見解に到達するという形で、その学説の検証と論証が実現するといえるのではないでしょうか。別の言い方をすれば『遅れてくる了解』によって、それは実現するのではないでしょうか」。

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 レスター・L・グレイビー氏(英国・ハル大学宗教神学部名誉教授)は、小林進氏(日本聖公会司祭)の司会のもと、「第二神殿時代のユダヤ教文書」「マカバイ時代のユダヤ教」と題して講演。ヴェルナー・H・シュミット氏(ドイツ・ボン大学旧約学名誉教授)は、大串肇氏(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授、日基教団仙川教会牧師)の司会のもと、「旧約聖書の信仰とキリスト教信仰」「試練の預言者エレミヤ」と題して講演。ペトラ・フォン・ゲミュンデン氏(ドイツ・アウクスブルク大学聖書神学教授)は、須藤伊知郎氏(西南学院大学神学部教授)の司会のもと、「パウロが持っていた死への怖れ――ローマ書理解の鍵」「ヨハネ福音書における不安と攻撃への対処――原始キリスト教の心理学への寄与」と題して講演した。

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