教皇ベネディクト16世退位 今月末に、〝生前退位〟600年ぶり 2013年2月23日

 教皇ベネディクト16世は2月11日、高齢を理由に今月末に教皇職から引退すると発表した。教皇は伝統的に終身在位制で、自ら退位するのは1415年のグレゴリオ12世以来約600年ぶりのこと。在位期間は8年だった。次期教皇は教皇選挙(コンクラーベ)で3月末までに選出される見通し。それまで教皇座は空位となる。

 発表は、バチカン(ローマ教皇庁)で開かれた福者3人の列聖をめぐる枢機卿会議の席上、教皇自身がラテン語で宣言した。

 バチカン放送(日本語電子版)によると、ベネディクト16世は、「わたしの良心を繰り返し神の御前で確かめた後、わたしの力は、高齢のため、教皇職をよりよく遂行するためにもう適していないという確信を得ました」と述べ、「早い変化と、信仰生活に対する大きな問題によって揺れる今日の世界において、聖ペトロの船(教会)を統治し、福音を告げるためには、心身の活力が必要ですが、ここ数ヶ月、自分に託された任務をよりよく遂行するための力がないことが自覚されるほど、その活力が減じてきました」として、引退を宣言した。

 ベネディクト16世は2009年、バチカンを訪問したロシアのメドベージェフ大統領(当時)と会談し、両国が正式な外交関係を樹立することで合意した。

 昨年から「ツイッター」を始めるなど、ソーシャルメディアを活用する取り組みも進めた。

 一方で、在任中には数々のスキャンダルも起こった。06年のドイツでの演説の際にベネディクト16世は、聖戦で信仰を広めるイスラムの教えは「邪悪で残酷」と評したビザンチン(東ローマ)帝国皇帝の発言を引用、「原理主義は(イスラム教預言者)ムハンマドの教えに反する」として、テロを行うイスラム原理主義者の宗教的根拠を否定した。これをイスラム教の「ジハード(聖戦)」を批判したと受け取ったイスラム諸国から謝罪要求や抗議が続発した。

 07年のバチカンによる声明「教会についての教義をめぐる質問への回答」では、ローマ・カトリック教会の首位性を再確認するとともに、他教派を不完全なものとし、特にプロテスタント共同体などの分かれたキリスト教共同体は、聖職と聖体をめぐって主要な違いが存在するため「適切な意味では」教会でない、とした。声明はベネディクト16世によって承認、批准され、その指示によって公表された。

 09~10年には、世界のカトリック教会で聖職者による児童の性的虐待事件が相次いで明らかにされた。問題を引き起こした聖職者に対し、上長である司教の対応も、実態を明らかにせず、別の理由で人事異動を行い、さらに新任地で被害者を増やす結果になるなど、隠蔽体質への批判も高まった。ベネディクト16世にも枢機卿時代に米国の神父の児童性的虐待をもみ消したとの疑惑が生じた。

 また昨年1月、バチカンの非公開文書が大量流出した事件は、「バチカン」と「リークス(漏えい)」を合わせた「バチリークス」という造語で呼ばれた。流出した文書は教皇ベネディクト16世のデスクから直接持ち出されコピーされた。機密文書を外部に漏らした罪でパオロ・ガブリエレ元執事が逮捕され、禁錮18月の実刑判決を受けたが、ベネディクト16世は恩赦を与えた。

【メモ】
 ベネディクト16世=1927年、ドイツ・バイエルン州生まれ。本名は、ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー。51年司祭に叙階。53年神学博士号取得。ボン大学、ミュンヘン大学、テュービンゲン大学で教鞭をとった。77年ミュンヘン・フライジング大司教に、また同年枢機卿に任命された。81年教理省長官、93年司教枢機卿、02年首席枢機卿。05年、ヨハネ・パウロ2世が死去したことを受けて、第265代教皇に選出された。

 著書に、『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』『ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行』『回勅 神は愛』『ナザレのイエス』『イエス・キリストの神 三位一体の神についての省察』など。

 

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