「被災地の現在とキリスト者の責任」 〝求められているのは「痛みを共にさくこと」〟 東京ミッション研究所フォーラムで川上直哉氏 2013年3月16日

 東日本大震災から2年、「被災地の現在とキリスト者の責任」を主題にしたフォーラムが2月25日、東京・御茶ノ水のクリスチャンセンターで開かれた。講師は「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)」事務局長の川上直哉氏(日基教団仙台市民教会主任担任教師)。主催は、日本の教会の宣教上の諸問題について、多様な角度から実践的研究を進める東京ミッション研究所(金本悟所長、東村山市)。

 現場で働き続けてきた川上氏は、社会全体と被災地の現実との乖離は、苦悩する被災者自身の存在を一層苦境に追いやっていることを主軸に話した。被災地の現在までを振り返るビデオを上映し、牧師や僧侶と共に訪れた石巻での「行脚」の感想を述べた。「ある程度は過疎化したごく普通の光景にも見え、見た目には震災が終わっているように感じる。『復興しましたね』と言う人が大多数だ。しかし震災直後、そこにいる人たちの自宅の庭には、死体が積みあがっていた」。

 また教会は神社などに比べて地域の状況に疎いことと、その「密着の限界」にも触れた。さらに実践の場面では「多元主義」は役に立たない、とも指摘。「学問の場面では良いかもしれないが、現場では信用されない」「(僧侶にあわせて)南無~と言いましょうか? と聞くと、僧侶に怒られる。僧侶は『(わたしは)仏教が一番だと思っている。あなたはキリスト教が一番だと思うか?』と。『一番だと思っているのなら、一緒にタッグ組みましょう』という話になってくる」。

 「責任とは応答すること」だと同氏。誰に応答し、何が求められているのか。「痛みを共にさくこと」が今求められているのではないかと、ピリピの信徒への手紙4章13、14節を引用しながら結んだ。

 講演後には、グループを作り、話し合いの時間が持たれた。「多元主義が役に立たない、信用もされないし、自らも満足できないという指摘が印象的」「究極的には、神に対する責任をどうするか、ではないか」などの意見が上がった。

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