ベトナムで空爆受けたキム・フックさん 〝「赦し」学び、苦しみから解放〟 西南学院主催し来日公演 2013年5月4日

 「ベトナム戦争時のナパーム弾の少女」として知られるファン・ティー・キム・フックさんが来日し、4月15日、東京都千代田区のサピアタワーで講演した。ユネスコの親善大使として、世界平和と反戦のために活動しているキム・フックさんの言葉に、210人の参加者が耳を傾けた。西南学院(福岡市早良区、G・W・バークレー院長)が主催した。

 1972年6月8日、当時9歳のキム・フックさんは、南ベトナム軍機の爆撃を受け、「熱い、熱い」と叫びながら火のついた衣服を脱ぎ捨てて逃げた。その姿を撮影した写真「戦争の恐怖」は世界に衝撃を与え、ベトナム戦争終結への動きを促進させるきっかけとなった。「その日がわたしの人生を永遠に変えた」と、キム・フックさんは腕のやけど痕を見せながら当時を振り返った。

 爆撃を受けて病院に運ばれたキム・フックさんは、ひどいやけどのため助からないと判断され、死体安置所に移された。母親に発見されたのは爆撃から3日後のこと。14カ月におよぶ入院と17回の手術を経て奇跡的に助かったが、退院後のリハビリも苦しいものだった。

 退院後は医師になる夢を持ち、82年にサイゴン(現ホーチミン)の医学学校に入学。しかし、ベトナム政府によって戦争のシンボルとして利用され、海外メディアのインタビューに連れ出されるなど、自由を奪われることになった。

 「また被害者になってしまった。わたしの人生は、かごの中の鳥のような状態だった」。次第に「なぜわたしが」と悩むようになり、怒りを抱き、自分を苦しめた人たちが同じように苦しんでほしいと考えるようになったという。

 どうしたら心の平安を見出せるのか悩んでいた時、図書館で聖書に出合い、19歳でキリスト者になった。「神さまがわたしの人生に目的を持っていることを知った」。

 その後、86年から6年間キューバのハバナ大学で学び、ベトナム人と結婚。モスクワでの新婚旅行の帰り、飛行機が燃料補充のためにカナダで1時間止まった間に同国に亡命した。

 「当時はお金もなく、知り合いもいない。カナダがどういった文化なのかも、何も分からない状態だった。信仰心以外何もなかった」

 現在は2児の母として夫とともに同国で暮らしている。

 96年には米ワシントンDCの「ベトナム戦争戦没者慰霊碑」を訪れ、爆撃を行った帰還兵と和解した。

 「わたしをこんなに苦しめた人たちを赦すことは、非常に大きなチャレンジだった」と話すキム・フックさん。聖書から「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(ルカ6・27)を引用し、苦しみから解放されるためには「赦し」を学ぶ必要があると強調した。

 そのための訓練としてキム・フックさんは、苦しみをもたらした人々の名前を1人ずつ、「祈りをささげるリスト」に毎日加えていったという。「人生で一番難しいことだった」と述べつつ、「敵であるはずの人のために祈れば祈るほど、わたしの心は柔らかく変わっていった。そして『赦し』を心の中で完全に感じることができた」とし、「わたしができたのだから、皆さんもできるはず」と呼びかけた。

 そして、心が傷つき、憎しみや怒りを抱いている人に向けて、「『赦し』は一つの選択。正しい選択をして、想像を超えたすばらしい体験をするために、神さまが力添えをすることを祈っている」と語った。

 キム財団を設立し、ウガンダで病院を建設するなど、戦争や紛争で犠牲になった子どもたちを救済する活動を行っているキム・フックさん。写真「戦争の恐怖」に写る自身の姿について、「彼女が苦しみや恐怖から泣き叫んでいると見ないで、平和のために声を上げていると見てほしい」と訴えた。

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 キム・フックさんの講演は13日にウインクあいち(名古屋市中村区)、18日に西南学院大学チャペルでも行われた。それぞれ320人、500人が参加した。同学院は2016年に創立100周年を迎える。今年1月には記念事業の一つとして東京オフィスを開設。これを記念して、今回の講演会が開催された。

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