シリーズ「憲法改正と私たちの課題」① 2013年6月15日

 成長戦略、アベノミクスと言う言葉を聞かない日はないが、その片方で、安倍内閣は憲法改正を推し進めるのに積極的で、憲法9条は風前の灯である。安倍晋三首相が96条の先行改正をめざし、憲法を改正しやすくすることに意欲を示したが、保守と言われた憲法学者や自民党内からも異論が出て、この夏の参院選を意識してか発言も目立たない。が、自民党の憲法改正草案が消えた訳ではない。

 問題の本質はどこにあるのか。本紙では「憲法改正と私たちの課題」を今週号から掲載する。第1回目の今週から3週にわたり、1999年に国旗国歌法など、戦前を思い出させる重要法案が審議されて以来、国会傍聴を続けている西川重則氏(「政教分離の侵害を監視する全国会議」事務局長)=写真=に寄稿してもらった。

有事体制化に直面する靖国神社の今を考える

 戦後68年の現状を直視する時、第2次安倍内閣の発足による影響は想像以上に大きいことに気づかされる。そのひとつが靖国神社参拝の復活と言ってよい。次の通りである。少し長いが、今後の問題を考えるために転載したい。

 麻生太郎副総裁と古屋圭司拉致問題相は21日、東京・九段北の靖国神社に参拝した。新藤義孝総務相も20日に参拝しており、第2次安倍内閣の3閣僚の参拝が明らかになった。靖国神社は21日から春季例大祭で、安倍晋三首相は同日、神前に捧げる供え物「真榊」を奉納した。古屋氏は参拝後、記者団に「国務大臣古屋圭司として参拝した。玉串料は私費から出した。国のために命を捧げた英霊に哀悼の誠を捧げるのは当然のことだ」と語った。加藤勝信官房副長官も同日参拝した(「朝日新聞」2013・4・22)。

 その後の報道によれば、閣僚を含めて169人が参拝したことになる。閣僚の最後は稲田朋美行政改革担当大臣である。参拝者のほとんどは、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に所属している議員であるが、副総裁の参拝や首相の侵略否定発言などが中国や韓国などから厳しい批判がなされていることは周知のことと言えよう。

 参拝者が169人であり、初めてのように言われているが、毎年「みんなの会」が集団で参拝をくり返しており、今回が初めてではなく、1981年4月22日の場合は、参拝者は197人であり、閣僚は8人と報じられている。

 そうした大集団の参拝が行なわれる理由は、1976年6月22日に発足した「英霊にこたえる会」その他の推進運動によると言ってよい。

 毎年靖国神社の境内で、「英霊にこたえる会」と日本会議の大集団が共催で、8月15日に追悼の名の下で参拝を行なっているのである。

 昨年安倍議員も参加していたことからわかるように、「英霊にこたえる会」や麻生太郎副総裁も所属していると言われる「日本会議」などとの日常的な関係を考えれば「みんなの会」の名の下に、春季例大祭や8月15日に、全県から参加する広がりから、参拝者が大集団になる可能性は十分に考えられよう。

 ここで補足しておくことは、「英霊にこたえる会」の結成の年は、先に報告したが、1976年であったことと発足の要因が何であったのかについてである。

 私は発足の大集会の模様を直接見ることが出来た者であり、日本遺族会の高齢化が避けられず、「英霊にこたえる会」は戦没者遺族の会ではないが同じ精神を継承し、類似の役割を担い、全国的組織をめざして運動を展開することだった。一方私たちは、戦没者遺族であり、私たちができる歴史的・今日的課題を担う者として、私たちの立場から靖国神社問題に関わっているのである。 

 ところで、靖国神社参拝者は年々ふえている。国会議員を含めて日本遺族会や「英霊にこたえる会」その他多くの日本人は率直に言って、戦前、戦中、戦後の今も、靖国神社に参拝するのは当然と思っている。しかし、公務員の靖国神社の参拝が日本国憲法や宗教法人法が求めている信教の自由、政教分離の原則・解釈・適用の首尾一貫性を十分に学び、考えることはなく国会議員も参拝した後、記者会見などで、「私的参拝」と答えれば、何ら批判もされないで、参拝をくり返すのが現状である。

           

〝政教分離重視する日本人少ない〟

 したがって、参拝の度に、中国や韓国などから批判されても何ら問題にしない。批判すべきはずの立場にある人々も沈黙している。驚くべき日本社会である。国会の本会議や委員会においても、肝心の政教分離の文言を使うことはない。憲法感覚もないように思われる。

 私は講演などでくり返し強調しているが、現在無視できない自由民主党の「日本国憲法改正草案」(2012・4・27決定)の重大な問題のある条文の第二十条の3は日本国憲法と同じ箇所であるが、内容に顕著な違いが見られる箇所の文言「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」、この第二十条3の原則・解釈・適用については、人それぞれ相違が見られることが予想される。それほど主観的判断に陥り勝ちな文言であることは否定できない。的確な憲法判断がなされないこと自体、条文の問題性は明白と言わねばならない。

 結論を言えば、多くの日本人が共有している、いわゆる社会通念による靖国神社参拝合憲論が多数を占めることがあり得るということである。「唯一の立法機関」に所属している国会議員も例外でないと言うことである。

 自民党の「日本国憲法改正草案」の第百二条に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と明記しているが、成立すれば、自民党改正草案の第二十条3があいまいに解釈され適用されることになり、多くの公務員が靖国神社で公式参拝をしても、第二十条3の解釈を合憲とみなす以上、憲法あるいは法律の面から問題視する日本人は少ないはずである。政教分離を重視する日本人が少ない日本の社会の現実がそこにあることを憂える私である。

 現状では、自民党の文言を批判し、公務員の参拝そのものを問題にする人も少ないと思われる。その理由はと聞かれれば、私は今年の春季例大祭の事例を挙げれば十分であると思っている。169人の公務にたずさわっている人々が、「私的参拝」と答弁するだけで、原則・解釈・適用に責任を持たない、つまり憲法とは何かについて十分に考えたことがない人が多い戦後68年の今を、私たちはどう考え、どう吟味し、どう真剣に対峙すべきか私たちも問われていることを強調しておきたい。

 そこで、日本国憲法を改正(改悪)しようとしている国会の厳しい現状を挙げることができるし、今回の169人の大集団の参拝の釈明「私的な参拝」論をあいまいに放置してよいのか、間もなく8月15日に直面する私たちである。

 最後に、靖国神社の現状を報告しておきたい。私の著書のタイトルの通り、『有事法制下の靖国神社』の参拝と言ってよい。私は毎年靖国神社のガイドを依頼されているが、現状は、改憲・国防(防衛)・教育の三本柱にまとめられよう。有事法制下の靖国神社は安倍内閣の閣僚の稲田朋美行政改革大臣がかつて発言したのだが、靖国神社は「安全保障」の役割を担っていると。安倍内閣の下で、有事法制下の靖国神社から右の三本柱は更に有事体制化の靖国神社になることは必至である。安全保障は、天皇のため生命を捧げた戦没者が靖国思想による教育を受け、戦死した「英霊」尊崇の思想であり、A級戦犯も靖国神社では、「昭和の殉難者」と呼ばれている。靖国神社に、A級戦犯の分祀はありえない。国防(防衛)のため、すなわち天皇の国、国民のため、天皇制教育によって、生命を捧げた神霊・「英霊」を尊崇し、顕彰する天皇の神社である。「平和を創り出す人々は幸いである」ことを信じる私たちの責任課題を訴えて第1回を終りたい。

 にしかわ・しげのり=政教分離の侵害を監視する全国会議(政教分離の会)事務局長、靖国神社国営化反対福音主義キリスト者の集い代表、キリスト者遺族の会実行委員長、平和遺族会全国連絡会代表など。著書『有事法制下の靖国神社』(梨の木社)、『わたしたちの憲法』(いのちのことば社)、共著『宗教弾圧を語る』(岩波新書)ほか。

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