ハイデルベルク信仰問答450周年 説教塾・教文館共催で記念講演会 2013年10月19日

吉田隆氏「エキュメニズムが体現された文書」
加藤常昭氏「説教から生まれた神の民の言葉」

 ハイデルベルク信仰問答の刊行450周年を記念する講演会「ハイデルベルク信仰問答と日本の教会」が9月30日、説教塾(加藤常昭主宰)と教文館(渡部満代表取締役社長)の共催でキリスト品川教会(東京都品川区)を会場に開催された。説教塾の塾生以外の信徒も含め、約280人が参加した。

 吉田隆氏(日本キリスト改革派仙台教会牧師)=写真=と加藤氏がそれぞれ「ハイデルベルク信仰問答の神学的特質」「説教のバックボーン・ハイデルベルク信仰問答」と題して講演し、楠原博行(日基教団浦賀教会牧師)、郷家一二三(日本ホーリネス教団坂戸教会牧師)、宮井岳彦(カンバーランド長老教会さがみ野教会牧師)の3氏が応答した。

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 開会にあたり渡部氏は、「ハイデルベルク信仰問答はその成立以来、世界各地で翻訳され、読まれ、用いられてきたばかりでなく、日本における改革長老教会の歴史の中でも最も早くから翻訳が試みられた信条の一つ」と紹介し、「この信仰問答の言葉が日本の教会の霊性の中にしっかりと刻み込まれる機会の一つとなれば」とあいさつした。

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 教文館より9月に刊行された『「ハイデルベルク信仰問答」入門――資料・歴史・神学』(L・D・ビエルマ編)の翻訳者である吉田氏は、1563年にドイツで作られたハイデルベルク信仰問答の目的・特徴・意義を、歴史に即して語った。

 問答書の作成を命じたフリードリヒ3世の意図していた目的として、①プファルツ領内の青年・一般信徒たちの教育手段、②教育者・説教者たちの統一した基準を作る、③領内の分裂した状態を解消する、という3点を指摘。「一致して告白できるような文章を作るためにはどうしたらよいのか。それは、聖書に立ち戻ること。聖書に留まること」と述べ、「福音の純粋で一貫した教え、真実な神知識を、神の言葉から、聖書から作るように命じた」と解説した。

 その特徴については、カトリック教会や再洗礼派、純正ルター派を除き、「当時のほとんどすべてのプロテスタントの福音信仰、聖書信仰を継承していると言える」と強調。

 そのような意味で、「この書物は非常にエキュメニカルな文書。教派を超えた、主義主張を超えた、エキュメニズムが体現された文書と言うことができるのではないか」とし、宗教改革者たちには皆、共通した信仰があったと主張。「これは使われるためにできた文書。聖書、キリストの福音がすべての人の心に届くように、という思いで作られた」と語った。

 「日本での宣教を考えた時に、福音を伝えていく際に『聖書に基づいている』ということが何と言っても大切」「聖書に一体何が書かれているのか、神さまは何を伝えようとしているのか。それを知るためにまず、その要点がまとめられている文書を使うということが大切なこと」と述べ、教派を超えて学び合い協力しながら、日本における「聖書の真理の進展」「キリストの福音の進展」を考えていくことを提唱した。

          

 加藤氏は、日本のプロテスタント教会が抱える課題として「説教の言葉が正しさも力も失っている」ことを挙げ、自身の主宰する説教塾が説教を学びつつ常に中心に据えてきた、教派を異にしながら福音の真理の言葉を共有するとはどういうことかという「エキュメニカルな問い」に対し、ハイデルベルク信仰問答が一つの指針を与えてくれると指摘。キリストの支配下にあり、キリストに仕え、福音の言葉に生きてきた教会の骨格をなすバックボーンについて言い表した「教会の言葉のモデル」である信仰問答を学び直すことが、緊急の課題だと提起した。

 さらに、考察すべき命題として「信仰問答か教理問答か(カテキズムの訳語の問題)」「信仰問答と説教との関係性」「信仰問答の語り口」について述べ、ウェストミンスター小教理問答が神中心的であるのに対し、ハイデルベルク信仰問答が「ルター的、主観的、人間中心的」と批判されていることにも言及した上で、「魂への配慮に生きる教会の言葉が、悲惨の中に起こる救いの出来事を語るように、同じ慰めの言葉、力あるいのちの言葉を語らなければならない」「福音の説教によって生まれた新しい神の民の言葉が信仰問答であり、それ自身が教会規律の中に含まれる必然性を持つ。このパースペクティブにおいて、日本の教会を問わなければならない」と提起した。

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 3氏の応答に次ぐ質疑応答で加藤氏は、教会の礼拝で原稿を読んでいる説教者が予想外に多いことや、「原稿を書かないと、教理的に間違ったことを口走ってしまう」と不安を吐露した牧師の言葉を紹介し、「生きた言葉は原稿に縛られない。説教者は体と心に刻み込まれた言葉で勝負するもの。原稿を書いても、壇に上がる時は捨てろというのが欧米の説教学における定説。それができないということは、説教の言葉が外に留まり、体内に入り込んでいないということ」と指摘した。

 会場からは、「一人の信徒として、もっと普通の若い人にも届くような言葉で福音を伝えてほしいと切に願う」との要望も出された。

 これらの音声は説教塾のサイト(http://www.sekkyou.com/jp/special11/)でも視聴できる

 

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