米国の国家朝食祈祷会に参加して 日本聖書協会総主事 渡部 信 2014年3月22日

 世界各国のキリスト教指導者らが招待され、米大統領がスピーチすることが恒例の、米国の国家朝食祈祷会が2月に開催された。日本からは渡部信氏(日本聖書協会総主事)=写真=らが参加した。オバマ大統領のスピーチもあった当日のプログラムの紹介を中心に、渡部氏に参加しての想いを寄稿してもらった。

     ◇

140カ国から招待・オバマ大統領が恒例スピーチ

 アメリカの上院・下院議員らが主催する第62回国家朝食祈祷会に出席する機会が与えられ、2014年2月初旬、ワシントンDC入りした。全米からの政財界、キリスト教関係者のみならず、海外の約140カ国から同様な立場の人々を合わせ、計4千人が招待を受けてホテル会場に集まり、2月6日(木)の朝、オバマ大統領夫妻や特別ゲストによるスピーチを中心に、賛美と祈りと証のプログラムによって催される年1度の大朝食祈祷会である。

 今回日本からは10名近くが参加したようである。筆者もこの祈祷会に毎年、参加することで、アメリカの政治、経済、キリスト教界のムーブメントを肌で知る良い機会とさせてもらっている。海外からは約1500名が招待されたと聞いている。

 この国家朝食祈祷会の発足の経緯は62年前のアイゼンハワー大統領時代まで遡る。上院・下院議員のクリスチャン有志によって、毎月2回、木曜日の朝、共和党、民主党の政策の違いを超えて行われてきた。アメリカにあって正しい政治が行われるようにとまず、神に導きを求め、共に食し、祈り合ったことから始まり、伝統は今も脈々と続いている。そして年に1度、時の大統領を招待し、世界からも多数のゲストを招待し、「世界平和」と「隣人愛」をスローガンに、朝食と祈りを共にするというプログラムになっている。

 今回は、民主党下院議員のジャニース・ハーン氏と共和党下院議員のルイ・ゴーマート氏の司会によって開会の祈りから始まった。ハーン議員の両親は「キリストの教会」宣教師として来日し、自身は東京で生まれたと語っていた。特別賛美をしたスティーブ・グリーン氏は南アフリカの宣教師の子で、ゴスペル歌手として活躍している。聖書朗読と証のベサニー・ハミルトン氏は、13歳の時にサメに襲われ片腕を失いながらも信仰によって再起した、ハワイ出身の女性サーファーである。ついにはサーファー競技大会で優勝するという感動的な証は、本となり、『ソウル・サーファー』という題で映画化もされた。ゲストスピーカーは、ヒンドゥー教のバックグランドにありながらも、世界の飢餓・難民・人権問題に関わりながら救済活動を行っている米国国際開発庁(USAID)のラジーフ・シャー行政官だった。シャー氏は、真の「世界平和」は宗教や民族の違いを超え、「隣人愛」を共有しあうことによって達成できるというメッセージを語った。

 この国家朝食祈祷会の特徴は、「イエスの隣人愛の教え」を中心に置き、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、いかなる宗派の人々も、この「無条件の与える愛」によって世界中の人々が一つになれるという信念が貫かれていることにある。難しい神学論争や宗教対立、政治の違いを超えて、「神の前に一人の人間として尊敬しあい、愛し合い、その人の友となること」、これがイエスの語った本当のメッセージであることを強調する。

 この流れはオバマ大統領のスピーチにも受け継がれていた。今日、アフリカ系アメリカ人がアメリカと世界の国々のリーダーシップをとっていること自体、以前は考えられなかった。この会に出席する度に、改めて思いを強くする。そのオバマ氏は逆に、キリスト教以外の宗教を選ぶ自由さにも触れ、つまり本当の「信教の自由」の大切さを強調した。そしてその自由さは、反対に対立を呼び、憎悪を増幅させる危険性も指摘し、「信教の自由」は同時に「人権と公平」が保障されたものでなければならないと説き明かした。全世界が多元主義的世界観に覆われる中で、これがアメリカ大統領の精一杯のメッセージでもあり、信仰上の保守派と革新派のバランスを取る絶妙なるセンスがあった。

 現代は、異文化や生活を実際に経験し、その国際的感覚から物事を考えることなくして、世界にリーダーシップを発揮することはできない時代である。海外の異文化を経験したオバマ大統領を始め、今や海外宣教師の子弟が活躍する時代の幕開けなのか。その点、日本人は海外旅行をし、異文化に興味を示すものの、海外の人々と接し、隣人として友人として信頼し、関係を持ち、考えを共有することに関して全くうといと言わざるを得ない。この朝食祈祷会から教えられることは、一面的な主張や意見に正解はなく、それが相対立する関係であっても常に二重の視点をもって相手の立場に隣人愛と敬意を持って対話し、共生すること無くして真の平和は実現し得ないこと、さらに神の正義は、イエスの犠牲愛によって示されたことである。

宣教・教会・神学一覧ページへ

宣教・教会・神学の最新記事一覧

TO TOP