【映画評】 『シリア・モナムール』 現実の無慈悲を 正面から捉え切る 2014年5月16日

 あまりにも壮絶で無惨。観客席の暗がりからは、ため息や静かな悲鳴が終始やまなかった。映画『シリア・モナムール』は、内戦下のシリアを描くド キュメンタリー作品だ。1千人におよぶ市井の人々の携帯電話やタブレットにより撮られた動画の数々を、カンヌ映画祭でのスピーチが原因でシリア政府から命を狙われ、パリで亡命生活を送る監督が編みあげる。

 本編ではシリアに戻れない苦渋を監 督が語るなか、中盤に入って新たな語り手、クルド人女性シマヴが現れる。 紛争地ホムスで隠れて撮影を行うシマヴは、フェイスブックを介して監督に映像を送り続けるが、交信はたびたび途絶える。やがて彼女はひそかにマドラサ(寺子屋)を開校するが、軍に捉えられてしまう。それも弾圧を加える政府軍ではなく、革命を目指す同志であるはずの自由軍に。

 遠い国の出来事ではある。欧州でのシリア難民をめぐっては日本でも大きく報じられてきたし、IS(イスラム 国)やロシア、トルコなど各国の動向が報じられない日はもはや珍しい。にもかかわらずシリア本国の様子や、国内に留まる人々の思いに触れる機会が少ない現状では、こうして生の声を伝 える作品が公開される意義は言うまでもなくとても大きい。

 それにしても、と考える。いったいこの映画は何なのだろう。瓦礫と化した街角、路上の椅子でくつろぐかに見える男性の頭部は潰れ、顔面が二つに割れている。赤い自転車に乗る少年と白猫を抱いた少女の兄妹の微笑む写真が映った次の場面で、カメラは横たえられた2人の青ざめて硬直した顔を捉える。花を摘みながら「スナイパーがいる」と駆けだす少年。片足片目を失った猫が、遠くの爆撃音に耳を澄ませる。

 言葉を絶する凄惨な映像の連なりに、目を背けたくなる 瞬間がなかったと言えば嘘になる。観客席の闇に響くシマヴからのSNS通知音に、目にしている光景がいまこの瞬間も継続される現実であることを思い知らされる。

 本作に貫かれているのは、厳密な意 味での詩性だ。往還するシマヴの肉声、 幾度も挟み込まれるパリの雨景、スクリーン内の人物が不意にこちらを鋭く見据える。現実の無慈悲を正面から捉え切る表現性の高みに達した本作は、 一面的な評価を峻烈に拒んでくる。

 万人向けの映画とはとても言えない。 だがこの世界に起きていること、人間が現に起こしていることを少しでも正しく知ろうという人に対しては、いま観るべき数少ない映画の一つだと確言しよう。(ライター 藤本徹)

 

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【Ministry】 特集「教会のリーダーシップ論」 29号(2016年5月)

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