キリスト教合唱音楽通し福音宣教を 活動10周年迎えた指揮者小口浩司氏に聞く 2014年5月24日

  合唱指揮を通して福音宣教に取り組んでいる指揮者・小口浩司氏。立教学院聖パウロ礼拝堂の三つの聖歌隊に指揮者として関わる同氏の合唱指揮活動10周年を記念した演奏会が、この3月に東京オペラシティリサイタルホール(東京都新宿区)で開催された。同氏の指揮により生み出される賛美のハーモニーと祈りは会場を満たし、満員の聴衆はその世界に魅了された。今後の活躍が期待される同氏に、福音宣教の手段としての音楽の可能性についてインタビューした。

 

――立教新座での聖歌隊指導は5年になりますが

 立教新座には礼拝堂があり、学校があり、自由な発想でワイワイやっている。そういう中で自然に彼らはお祈りします。立教に入った、ミッションスクールに入ったことが神様と出会ったことですよねと私はよく言います。それ以上のものでもそれ以下のものでもないと思うし、神様の守りの中でできること、生徒も親も与えられた役割があります。私も、立教に呼ばれたその時からそなえられていたのだと思います。聖歌隊も持つようになって、そこからまた道が拓かれて…。オペラシティの演奏会までたどり着くなんて到底思っていませんでした。

 

――指揮活動10周年という企画の演奏会です

 元々はピアニストになることが目標でしたが、恩師から歌うことも大事だと言われて…。ピアノは自分だけの世界に漬かるけれども、合唱は違う。歓びも感動も一緒に分かち合うことが本当の音楽の在り方だと気が付いた。聖アウグスティヌスの〈歌う人は二度祈る〉という言葉がありますが、音楽にはものすごいパワーがあります。

 私の聖歌隊のサウンドの作り方が全てではないけれど、ある意味、私のビジョンに皆さんが感銘を受けてくれて一緒の方向性でやっていけるということは、私だけの力ではないと思う。導かれるような、不思議なパワーがある。1年くらい前、ある修道女に「キリストが一緒にあなたを動かしてくれていると思えばいいんじゃない?」と言われました。一時期は、自分自身がどうにか作らなくてはいけない、自分が皆に何かをしてあげなくてはという驕り高ぶった気持ちがあったのですが、それは間違いだった。指揮者は自分では音を出さない。結局音を出してくれるのは演奏者で、自分がどうこうということではなくて、相手に寄り添ったり、相手がどのように音を出したいかということを上手に調整する役割なのですね。そういうことは自分の都合だけではできない。演奏会前日、「すべてを主にゆだねて、キリストが力を貸してくれていると思っているので、皆さんもお互いに信頼していきましょう」と言いました。

 

――聖歌隊の生徒たちにはどのように接していますか?

 中高生の中で受洗者はひとにぎりですが、自然とその空気に漬かるので、キリスト教の世界がわかるようになってきます。私が何か言うわけではなく、彼らは確実に自分たちの使命をわかっている。聖歌隊はクラブ活動で、一般の学校に置き換えたら合唱部です。合唱部は年間活動に合唱コンクールへの出場を加え、賞をひとつの目標とする側面がありますが、彼らは全くそこには興味がない。

 私が彼らに言っていることは、音楽で何ができるのか、ということです。そしてどんなに会衆が少なくても、仮にお客さんが一人だったとしても絶対に手を抜いてはダメだと言っています。私たちにしてみたら10あるステージの1かもしれないけれども、そこに聴きにきた人にとっては、たった1しかない。

     

 

――信仰を持った経緯を

 3歳でカトリック系の幼稚園に入れられたことが神様との出会いです。最初から家庭の中にキリスト教があったわけではない。私の音楽の原点は、幼稚園の3年間だと思っています。毎朝お御堂でミサがありました。そして半ズボンで跪くのだけれども、ミサの時間=ひざが痛い…ぐらいにしか思っていなかった(笑)。そういう中で自然に歌っていた聖歌が、いま私が関わっている作品であったりする。幼少の頃に自然な流れの中で神様と関わることを体験したから、いつ信仰を持ったのかと問われるとわからない。初めからキリスト教音楽をやってきたわけでもないのに、自分の原点はどこかと考えたときに、やっぱり幼少のころの記憶と音楽に戻るんですよ。

 

――国際基督教大学教会(ICU教会)でも聖歌隊指揮をされています

 ICU教会は3年目です。礼拝で指揮をすることは、一番緊張します。礼拝の中で聖歌隊を立たせるタイミングとか、立ち上がるときの会衆の呼吸、すべてが流れになっているので。私の仕事はその教会に合った相応しい奉唱曲を選択して、信徒の方々と一週間の始まりの祈りを整える働きです。聖歌隊の働きは二つあります。礼拝を守りその中で祈りをささげること。もう一つは外に出て行って福音を宣べ伝えること。教会によってカラーがあると思いますが、ICU教会は自分たちの礼拝を守るための聖歌隊です。聖歌隊は、自分たちのやっていることに満足してはいけません。自分中心の祈りでは意味がない。ここでも大事なのは、主にゆだねること。すべての人たちに用いられてこそ、本当の意味での主の平和がある。聖歌隊は常に敷居を低くして、考え方も柔軟でいなければと思います。

 

――日本賛美歌学会の会員としての役割は?

 たとえば、新しい作品の使われ方はこれからの課題です。リタージカルなところでは、新しい楽曲をポンと礼拝に入れてそのまま用いられるのかというと難しいです。『讃美歌21』(以下『21』)がありますが、ICU教会では未だに『1954年版』(以下『54年版』)が主流です。どっちが良い悪いではなくて、賛美の形の多様性を考えているところです。

 聖公会では新聖歌集ができたときに全部切り替わりましたが、立教新座では月に2回は文語での礼拝を行います。それは学校教会として伝統や格式など守るべき部分もあるからです。

『21』に関しても、新しい歌詞になってわかりやすくなった側面もあるし、言葉の流れと音楽の流れが一致するようになり身近になったとはいえ、それですべての人がOKというのではない。これは人間である以上、感覚とか感性が違うから仕方がないことです。かといって、『21』にも『54年版』の中にも歌われたことのない作品はかなりあります。新しい作品を生み出すのも大事だけれども、自分たちの教会の中で、これは私たちの愛唱賛美歌だというレパートリーを作るとか、礼拝でもっと用いられる曲を持つべきです。

 よりよい賛美をするために、私たちはアドバイザーとなるべき仕事をしなくてはなりません。学会がそういうことも含めて世の中に新しい情報を発信していけるような活動ができたらと思います。エキュメニカルで活動していると、それぞれの教派や教会で大事にされてきたものがあることに気づきます。過去がなくて今もないわけだから、それを認めて曲をつくるしかない。私の所属するカトリック渋谷教会でも『21』を使うことがあります。それこそ中世と今の教会音楽は違うので、一番良い音楽の在り方を追求していかないと。音楽を通して教会が一致していくように。過去も大事にしながら、未来のためにできることは何かを模索していきたいです。

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おぐち・こうじ 指揮者・クワイヤーディレクター。国立音楽大学首席卒業。同大学院修了。常任で5団体の聖歌隊グループの指揮・指導に当たる。奉唱のために手がけた作曲、編曲作品多数。玉川大学芸術学部・通信教育部講師。日本賛美歌学会、日本音楽教育学会会員。

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