人の痛み悲しみ共にする宣教を 大原猛神父インタビュー 2014年6月7日

なぜいま「学習センター」?

 この春、カトリック習志野教会の司祭、信徒によって立ち上げられた「カトリック船橋学習センター ガリラヤ」(4月5日付既報)。この開所式が4月29日に千葉県船橋市内で行われ、関係者ら約260人が集まり、祝った。開所式では、森一弘名誉司教、船橋市商工会議所の伊藤賢二会頭らがあいさつ。幸田和生補佐司教による記念講演も行われた。なぜいま、学習センターをつくろうと思ったのか。センター長に就任した大原猛神父(習志野教会主任司祭)に聞いた。

――今回の学習センター設立は、2012年に始まった「信仰年」が一つの契機となっています

 私が習志野教会に赴任したのが2年前。ミラノ外国宣教会のアンドレア・レンボ神父と二人で同時に習志野教会に来ました。彼と話し合ったときに、「教会堂は広いけれど、私たちの生活は観想修道院みたいに静かだね」と。日曜はいっぱい人が来るけれども平日はほとんど人が来ない。教会がいくつかの市にまたがっていることと、電車は京成線一本しか通っていないことから、教会へアクセスするのが難しく、自動車でないと無理ということがある。

 そういう話をしているうちに、「私たちには宣教がない」ということになった。それで、信仰年が始まったことをきっかけに宣教について考えるようになった。彼も日本に来て宣教ということについて神父と話したのは初めてだと。教会全体が社会の中にある問題をキャッチして、それに対しどのように関わっていくか、ということがありませんでした。毎年12月になってクリスマスが終わると、ハァ、今年も行事で終わりだったな……。という実感になるのです。小教区内でも本当はいっぱい問題を抱えているはず。たとえば、DV、離婚、失業などいろいろある。でも小教区の、教会内でそれを分かち合うことなかなか難しいわけです。

――大原神父は、かつてカトリック東京国際センター(CTIC)の仕事を長くされていました。このセンターは、日本に滞在する外国人をサポートしています

 私にとって非常に大きな意味を持っていたのは、CTICに来るのは、本当に困っている人ということ。ビザのこと、労働問題、結婚や出産の問題などいろいろな問題を抱えている人たちが来るわけ。そうした中で、一緒に病院に行ったり、時には警察にも行ったり、あるいは賃金未払いのことで交渉したり……。私の日常は、実は彼らの日常と深く結ばれていた。それは私にとっては、司牧という世界よりも大きな意味を持っていた。宣教って何だろうといつも考えるのですが、「みなさん聞きなさい、イエスはこう言っていますよ」というのではなくて、色々な人の痛みや悲しみに一緒に立っていることが宣教の一つの役割じゃないかと思います。そういう意味では、社会の中で起こっているさまざまな出来事を私たちが話し合ったりできる場として、こういう学習センターがあればと思ったのです。皆さんの拠り所になって語り学べる場所になったらいいなと思う。

――いろいろな講座を受けることで、そこから社会的なつながりも生まれる

 そういうネットワークも、一つの業です。もう一つの大きな課題は、教会というとどうしてもその教会だけに限定されてしまいます。例えばここにモリ教会というのがあったとする。モリ神父のカラーに染まってしまっているわけで、今度オオハラが行くとすると、オオハラ神父のカラーに変わってしまう。モリ神父が進歩的な人だったのに、今度は保守的な神父が来たとすると、その場にいる信徒たちは戸惑ってしまう。小教区の限界をどうやって乗り越えるかということも大きな問題でした。私たちは神父ですから、あちこちの教会を転任して歩きます。そうすると神父たちの生き方やあり方によって教会が大きく変化してしまうわけです。そこで交通の便の良いところで皆が集まってネットワークが持てれば、教会だけに依存しないで自分たちでも動いていけるんじゃないか、と。学習センターは、複合的な理由で誕生しました。

         

――観想修道院、宣教がない、人々の痛みに関わる場がない、そして行事に追われている、という視点から始まった発想が……。

 そもそも信仰年とは何なんだ? というところから始まった。来年は『現代世界憲章』の発布50周年です。これはカトリック教会が第二バチカン公会議でやった一番大きなものです。現代世界と自分たちは結ばれているんだと宣言した。来年の発布50年を記念してもう一度私たちが現代世界と深く結ばれているんだということを意識する、そのための信仰年だと思っている。

 また、見切り発車というのもあったのかもしれないけれど、誰かがしなければならないだろうという思いがあった。もし漠然と、皆さん一緒にやろうよと言ってもなかなか動きが生まれない。でも教会の中には有能な人がたくさんいて、その人たちがやると言って下さったら可能性は高まる。あとは資金の問題だけ。皆でなんとか集めていけば、どうにかなるんじゃないかなって。こういった試みは前例がないので、賭けという要素も入っている。でも本当に良いものだったら続くだろう。

――他の小教区の反応は?

 神父の反応よりも信徒の反応のほうがある。うちの教会の信徒だけでなく、他の教会の信徒で期待している人も結構いるようです。

 これからはどんどん神父が少なくなります。プロテスタントもそうでしょうが、先行きが危ういわけです。いま東京教区で、70歳代以上の神父が17人いる。10年の間にどれだけの人が神父になれるのかを考えたら、今の状況からは、順当にいって17人いなくなって5~6人しか入ってこないことになる。神父の数が減少していくという状況では、なおさらこうした学習センターは必要だと思う。

――学習センターの「設立趣意書」は、若者にフォーカスしています

 教会に若者は非常に少なくて、一番失われる世代が中高生です。塾や部活でほとんど取られちゃう。中高生時代に教会に行かない習慣がついてしまうと、大学生になっても、教会には魅力がないから、来ない。魅力があれば来ますけど(笑)。

 長期的にみて、学生や若者が集まってきているなという広がりを出すことが必要です。青年たちがどうやって養成されるべきなのか、どうやって自分たちがつながりを持ちながら生きていくか。大切な時期をパソコンだけで過ごすのではなく、海外にも目を向けて、自分のよって立つところは何かを見つめられれば一番良い。どうして自分は生きているのか、何のために生きているのか。そういう人生の意味を発見できるような場になればと願っています。なかなか人生の意味を見つけられないのが今の社会の実情だと思う。

――そうした考え、学習センターを作りたいという思いは、CTICにいたころの経験が影響していますか

 そうですね。私は特殊な生き方をしてきたのかもしれない。ジョックという運動(カトリック青年労働者連盟)がありますが、これに関わったのが神父になって2年目のこと。これが実に大きな影響を与えてくれた。小教区で働いていたのですが、そこにたまたまジョックの青年がいまして、その人たちの人生に関わるようになった。どこで生まれどのように育ち、どんな状況に遭って、どういう風に生きてきてどう感じているのか、と。そうした関わりを通してすごく衝撃を受けた。自分の人生が、人の痛みと関わることによって揺さぶられた。その時にはじめて、自分のあり方とは一体何なんだろうと感じるようになりました。

 その頃の青年労働者の多くは中卒で、田舎から出てきて、非人間的な労働環境の中で生きていた。そうした若者たちと話し関わる中で、そこが福音の現場だという思いを持った。そうした経験が、CTICで生き、今回の学習センター設立につながっているわけです。

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