世界の平和と人権守るため 具体的行動へ日本が先頭に 稲正樹氏が「平和憲法の現在と将来」を語る 2014年9月27日

 憲法学者の稲正樹氏(国際基督教大学教授=写真)が8月31日、「平和憲法の現在と将来」と題して講演。日本国民は、平和主義の原理に立つ理想の達成へ努力すべきだと訴えた。

 日基教団所沢みくに教会員である稲氏の講演は、日基教団埼玉和光教会(埼玉県和光市、三浦修牧師)主催の「憲法・平和学習会」で行われた。

 稲氏は冒頭、『平和憲法の確保と新生』(深瀬忠一・上田勝美・稲正樹・水島朝穂編著、北海道大学出版会)に基づき、「今後50年、100年かけても、核・地球時代の『恒久世界平和』に寄与するために、憲法革命を進めていきたいと、わたしたち憲法研究者は考えている」と主張。「人権の尊重なくして平和はない。平和に生きることなくして人権の尊重もない」とし、憲法の前文と9条は「人類が絶滅することなく、生き残って発展せよという核・地球時代の最も根源的な至上命題を宣言し、政府の基本政策と法的歯止めとして平和的生存権を確保・尊重することを、国民が監視し、是正・支持しながら実現していく権利と責務があることを明らかにしている」と述べた。

 そして、日米同盟強化のために明文改憲によって軍隊を創設する道ではなく、米政府の要望する実質的改憲を進める路線でもなく、「平和憲法を最高法規として確保し、諸国民と協調する自主・独立の非軍事的協力によって、核・地球時代に人類と世界が破滅を免れ、生き残りを確保する道」こそが、ポスト経済大国としての選択ではないか、と提言。日本のソフトパワーを結集して、恒久世界平和の新しい文明の建設と創造に寄与し、対内的・対外的暴力によらず、国民の平和のための努力によって立憲民主平和主義革命を達成するという基本路線こそが、「日本国民だけでなく、アジアと世界の国民に普遍的に参照されるモデルとなりうるのではないか」と提唱した。

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 次に、『憲法学教室 全訂第2版』(浦部法穂、日本評論社)に沿って平和主義の構造を考察。憲法に示された平和主義の原理は、「日本が先頭に立って、全世界の平和と人権を守るための具体的行動を起こし、積極的に世界平和を追求するということを意味する」のであり、日本国民はこの理想の達成に全力を尽くすことを世界に誓約したのであるから、「少しでも理想に近づけるように、国際社会の先頭に立って努力をしなければならない」と論じた。

 また、日本国憲法の平和主義の重要な意義は、「全世界の国民の『平和的生存権』を確認し、平和を人権の問題として位置づけている点にある」と強調。自衛隊イラク派兵差止等請求訴訟事件に関する2008年の名古屋高裁判決を、「今後の憲法裁判において平和的生存権の裁判規範性を確実なものにし、日本の軍事大国化に抗して、恐怖と欠乏から解放された平和な地域と世界をつくっていくことを希求する市民の運動にとって大きな力を与えるものである」と評価した。

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 続いて、「平和的生存権」保障の具体的意味を理解するために、憲法9条の規範内容に話題を移した。「9条は、形式がどうであれ実質的な戦争いっさいを放棄し、戦争の誘因となる武力による威嚇をも全面的に放棄している」とした上で、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」という語句に着目。国際法上の用語例を前提にすれば、放棄の対象をいわゆる侵略戦争に限定するものと解釈できるが、2項では戦力および交戦権を無条件的に否定していると解釈できることから、自衛戦争も放棄したのかどうかをめぐり、次の三つの説を紹介した。

 第1は、1項を侵略戦争の放棄に限定し、2項は「前項の目的」すなわち侵略戦争放棄の目的を達成するためのものであり、自衛戦争まで放棄したとは解しえない、とするもの。第2は、1項に関しては第1の説と同じだが、2項が戦力および交戦権を無条件的に否定している以上、自衛戦争もなしえないのであり、9条全体としては自衛戦争も含め、いっさいの戦争を放棄している、とするもの。第3は、およそ戦争は国際紛争を解決する手段として行われるものであって、侵略戦争と自衛戦争の区別は明確でなく、1項が自衛戦争を含めていっさいの戦争を放棄している、と解釈するもの。

 稲氏は第1説について、「自衛戦争・自衛戦力を容認するという政治的意図をあらわにしたものであって、解釈論としては根拠薄弱」と述べ、理由として「日本国憲法には、およそ戦争や軍隊の存在を予定した規定は存在しない」と強調。第2の説は論理的に成り立たないわけではないが、「国際紛争を解決する手段としては」という語句にこだわらなければならない理由が明確でなく、従来の用例も確たる理論的根拠をもたず、1項と2項を分離して解釈する必然性はないと述べた。

 「自衛戦争とは、あくまでも『国家』の自衛のための戦争、要するに『国家』を守るための戦争」であり、「『権力』を守るための戦争ということではないだろうか」と主張。「9条1項は『自衛戦争』を放棄していないと主張する人たちは、『自衛戦争』は『正しい戦争』だという前提に立っているが、その『正しさ』は権力の視点に立った『正しさ』ではないか」。

 「権力の視点から見ていかに『正しい』戦争であろうとも、それは、個人の生命や生活を根こそぎ破壊するという点において、『正しくない戦争』となんら異なるものではない。個人の視点から見れば、どんな戦争も、個人の生命・生活を奪うものであり、決して正しくない」と訴えた。

 また、「戦力それ自体について、あらかじめ侵略用と自衛用に区別することはできない」とし、9条2項の解釈としては、「いっさいの戦力を保持しないという結論しか出てこない」と強調。「侵略戦争放棄の目的を達成するためには、いっさいの戦力の保持を禁ずるのが、一番実効的である」と論じた。

 「自衛のために必要な最小限度の実力(自衛力)」は憲法の禁ずる「戦力」にあたらないとする政府見解については、「自衛力」と「戦力」の区別は不可能であり、論理的に成り立ちえない解釈だと述べた。また、「自衛権」は伝統的な法的概念では「武力」行使を前提としたものとして捉えられるべきであり、「武力なき自衛権」はありえないとした上で、「自衛権」議論があいまいであるがゆえに、「自衛権」があるかないかという議論自体が、結局は軍備保有の正当化の口実を与える結果になると主張。「自衛権」は主権国家に固有の権利だという考え方については、そもそも立憲民主政のもとで固有の権利をもつのは基本的人権の担い手としての国民個々人だけであり、国家の「固有の権利」を認めること自体に問題があると指摘した。

 「自衛権」議論の出発点は、「どこかが攻めてきたらどうするか」ということであるが、日本国憲法の平和主義はそのような前提を捨てるところから出発しており、「どこかが攻めてきたら」を前提とした「自衛権」の有無を論ずることは、憲法の基本的立場に反することだと主張した。

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 その上で、安全保障の問題は、従来の「国家の安全保障」ではなく、「人間の安全保障」の観点から考えるべきだとする考え方が現在の世界的な潮流だと説明。「平和的生存権」は「恐怖と欠乏から免れて生存する権利」を含む概念であり、「平和」や「安全保障」の問題は、一人ひとりの人間にとって大切な問題として考えるべきだと述べた。

 「日本国憲法は、『平和的生存権』を『全世界の国民』の権利として確認している」のであり、これは「日本および日本国民の行動基準とされるべき原理だということを意味している。したがって、外交上も内政上も、これに反する政策は憲法違反の政策として否定されなければならないと思う」と主張。「人間の安全保障」のためには、「持続可能な経済」への転換、国際的な人権保障の確立、世界中の軍備全廃が必要だと強調した。

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 稲氏は8月15日にも同教会で講演した。同教団埼玉地区社会委員会(本間一秀委員長)が主催する「平和を求める8・15集会」の講師として、「憲法9条で真の平和を実現しよう――安倍政権の進める戦争する国づくりに抗議して」をテーマに話し、85人が出席した。

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