宗教者が「死刑」と「いのち」考察 国際シンポ「いのちなきところ正義なし」 2014年11月15日

 「死刑といのちを考える」をテーマに、共に死刑を考える国際シンポジウム「いのちなきところ正義なし2014」が10月25日、在日本韓国YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)で開催された。カトリック信徒団体・国際NGOの聖エジディオ共同体と、欧州委員会が主催し、約150人が参加した。

 パネル・ディスカッション「いのちを考える」では、真宗大谷派、天台宗、カトリック教会、日本バプテスト連盟、大本の各宗教者が死刑をどのように捉えているのかを話し合った。

 松浦悟郎氏(カトリック大阪大司教区補佐司教=写真左)は、「カトリック教会は死刑制度を容認しているのではないか」と指摘されることがあると述べ、『カトリック教会のカテキズム』では、条件付きで死刑を科すことが排除されていないことに言及した。一方で、教皇フランシスコが10月23日に死刑廃止を訴えたことに触れ、「死刑廃止の動きをさらに強めていくことができる」と語った。

 その上で、「被害者の立場から、死刑の問題にどう答えるか」を聖書に基づいて考えていかなければならないとし、「死刑廃止は遺族の本当の癒しにつながる」と訴えた。

 その理由として、人間は関係存在であり、人と人との関係の中で幸せになり、傷つくこともあり、その傷が回復していくのも同じ人間関係の中であると主張。

 加害者による心からの反省と謝罪があり、償いが続けられることが被害者にとって慰めになるとし、「死刑によって突然償いのすべてが終わるのではなく、続けられることで遺族にとっては次の癒しに向かう可能性が開かれる」と主張。そして、「被害者の側が償い続ける加害者を見て、『もうわたしはあなたを赦す』と言えたとしたら、それは『癒しの完成』」だとし、それはこの世では完成しないかもしれないと述べた。

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 木村公一氏(日本バプテスト連盟福岡国際キリスト教会牧師=写真右)は、「キリスト教は、人間一般の『死』の問題に焦点を当てているのではなく、徹底して『キリストの殺害』の問題にこだわっている」と強調。十字架上で殺されたイエスの問題がキリスト教の中核をなしていると述べた。

 「『殺人』とは、この対極にある『いのち』と同様に、人間の実存的な事柄でありつつ、なお政治社会的な事柄でもある」とし、「人はそれが個人によるものであれ、国家によるものであれ、『殺害』という出来事を一般的な『死』の問題にすり替える時、『殺害』が持つ社会的政治的な次元を見失うことになる」と主張した。

 死刑による殺人は、戦争における敵の殺りくと同根であり、両者とも「国家による合法的な殺人」であると主張。兵士が戦場で敵兵を殺しても罪に問われず正当化されるのは、「国家が発行している現代の免罪符によるもの」だと訴えた。これに対して法律家からは「合法か非合法かが問題だ」と批判されるとした上で、「しかしキリスト教は合法性の上位に正当性を常に置く。合法性は常に正当性によって批判され、変革を余儀なくされる。そういうことをイエスはわたしたちに教えた」と強調した。

 「十字架によるイエスの殺害」の歴史的側面として木村氏は、「帝国の宗教の利権を脅かされた祭司、領主、官僚たちがイエスに復讐を挑み、抹殺することへと動いた」「そのために国家反逆罪という冤罪が準備された」「大勢に逆らう者たちの運命の成れの果てを見せしめるという効果が期待された」「イエスがバラバの身代わりに殺された」という4点を指摘。「『いけにえの供え物』といった古代ユダヤ教的な概念でイエスの十字架を『罪の贖い』として説明すると、きわめて個人的な事柄にされてしまう。そうではなく、この十字架事件の歴史性を土台にして、死刑と戦争による殺害の違法性を明らかにすることが、わたしたちに課せられた課題である」と結んだ。

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 シンポジウムでは他に、マリオ・マラッツィーティ氏(イタリア下院議員、人権委員会議長)が基調講演を行い、「いのちを大切にする美しい日本であってほしいと思う」と話した。また、「死刑を考える」と題して、袴田巌さんと姉の秀子さんらによる報告が行われた。最後に参加者一同で宣言文を採択し、日本政府に死刑執行の即時停止を要請した。

 同シンポジウムは23日にも「法と人権」をテーマに衆議院第一議員会館で開催された。

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