【映画評】『最後の命』 拭いがたい罪に翻弄される命の希望 2014年11月8日

 幼少期に凄惨な婦女暴行事件の現場を目撃してしまった幼い桂人と冴木。その忌まわしい記憶に翻弄されながら、それぞれに成長の途をたどる2人。社会的接点を絶ち、半ば引きこもる桂人は、冴木からの連絡で思わぬ再会を果たすも、自室で起こった殺人事件のために警察の取り調べを受ける。そこで知らされたのは、冴木が容疑者として指名手配中であるという事実だった。

 

 倒錯した性への目覚めと嫌悪。病む心。目を覆いたくなる現実。それでも、もがきながら友を想う「愛情」とも「友情」ともつかない気持ち。やがて開かれる扉の先には――。

 幼い2人が家を抜け出した際の合言葉は、「世界が終わる」。そこには、陰鬱としたこの世に終わりを告げる終末への希望が込められている。小さな肩に背負わせるには、あまりに過酷すぎる運命。死と隣り合わせの儚すぎる生と、それゆえに愛おしい命。

 複雑な葛藤を抱えた役柄を、主演の柳楽優弥と旧友・冴木役の矢野聖人が好演している。柳楽は「誰も知らない」でのセンセーショナルなデビュー以来、紆余曲折を経ての完全復帰。その陰りを帯びた佇まいは、まさにハマり役と言っていい。

 米ニューヨークで開催されたチェルシー映画祭のコンペティション部門に日本映画として初めて出品され、最優秀脚本賞を受賞。瑞々しいエネルギーを発揮した若き才能に期待が集まる。

 「本当の希望は悲劇を通り越した向こうにある」と中村文則は言う。原作が書かれた2007年と映画化された今日では、震災を挟んで「希望」の意味合いが微妙に異なるが、人間の悲惨は有史以来変わることがない。

 前作の「まだ、人間」同様、松本監督の作品には、一貫した神学的問いが内在する。本作も、宗教改革者マルティン・ルターの言葉で幕を開ける。人類の拭いがたい「罪」とは。「愛」とは。「善か悪か」、「希望か絶望か」と二者択一を迫ろうとする世の中に正面から「否」と叫ぶ。暗く重い絶望的な現実の中にこそ、真の希望があるに違いない。

 

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【Ministry】 特集「新しい賛美のカタチ」 23号(2014年秋)

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