【映画評】 『ダライ・ラマ 14 世/ルンタ』 自由と尊厳を求める宗教者たちの矜持 2015年

 「非暴力とは?」「平和とは?」――戦争の世紀を経て、人類が長年問い続け、いまだその糸口を見出せずにいる課題。今も圧倒的な暴力によって多くの人々の自由が脅かされ、それを希求する声が封じられている現実がある。いわゆる「チベット問題」もその一つ。

 1949年、中国人民解放軍の侵攻により、翌々年には事実上中国の支配下に置かれたチベット。「宗教は毒」とする毛沢東のもと、僧院が破壊され、僧侶は環俗させられ、義勇軍との戦いが激化。インドに亡命したダライ・ラマ14世の後を追い、10万人以上のチベット人たちが難民となって故郷を後にする。

 北京オリンピックを目前に控えた2008年、僧侶300人によるデモから大規模な抗議行動が全土に発展。チベット仏教文化圏の中枢であるラサだけでも200人を超えるチベット人が命を奪われた(亡命政府発表)。以来、言語教育政策や遊牧民の定住化、チベット人に対する移動の制限など、中国の圧政に対する「焼身抗議」が続発し、その数は141人に上るという(2015年3月3日時点)こうした複雑な背景をもつチベットと、それを取り巻く宗教者たちの姿に焦点を当てた二つの映画が、相次いで公開される。

 

 『ダライ・ラマ14世』は、1989年にノーベル平和賞を受賞した、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王14世に密着し、6年の歳月をかけて製作されたドキュメンタリー。「世界平和に貢献する人々」の撮影をライフワークとする写真家の薄井大還が、91 年にポートレイト撮影を許可されたことを機に、チベット亡命政府からドキュメンタリー映画製作の許可を得た。

 59年に亡命して今年で56年。法王は80歳を迎えようとする今も、チベットの土を踏んでいない。いつかチベットに戻る日を夢見つつ、世界中の要人と面会し、チベットの窮状と非暴力による世界平和の実現を訴えてきた。

 映画は、仏教の教えと伝統が受け継がれる国境近くの町ラダックへのロケも敢行。約1千人の人々が全身を伏して祈りをささげ、「身の丈」だけ前に進むという行事「ゴチャック」(五体投地)など、亡命の地で息づくチベット仏教の神髄にも迫る。

 秀逸なのは、街角で集めた「もし髪型を伸ばせるならどんな髪型にしたいですか」「何人の女性と付き合いましたか」「暴力のない強さとは何ですか」といった素朴な質問を、ビレオレターの形式で本人に直接ぶつけ、それらに対するユーモアあふれる回答を引き出しているという点。まるでリアルタイムに、国を隔てた「禅問答」を見ているかのよう。「勉強は嫌い」とぼやく日本の若者と、親元を離れても「勉強できて楽しい」と屈託なく話す難民の子どもたちの対比も、問題の根深さを浮き彫りにする。

 

 一方『ルンタ』は、チベット亡命政府のあるインドインド北部の町、ダラムサラに30年間住み続け、「ダライ・ラマの建築士」と呼ばれる建築家、中原一博62歳)に密着。庁舎や僧院、学校などの設計を手がけながら、NGO「ルンタプロジェクト」の代表としてチベット人を支援してきた中原は、「焼身抗議」の背景と、彼らの遺言などを通してチベットの苦難をブログで発信し続けている。

 ダラムサラの僧院には、焼身者の遺影が壁一面に並ぶ。その多くが、どこかあどけなさの残る若者たち。中原は「焼身抗議」が行われた現場をめぐり、そこに身を置くことで、彼らの声なき声に耳を傾けようとする。さながら「チベットの〝悼む人〟」の様相。

 決死の抗議活動を外国メディアの前でおこなった青年僧、長期間監獄に入れられても仏教の教えを頑なに守る老人、厳しい拷問を耐え抜いた元尼僧などへの聞き取りをしながら、自由と尊厳をかけた彼らの闘いを追う。

 タイトルの「ルンタ」は、〝風の馬〟を意味するチベット語。天を翔け、人々の願いを仏神のもとに届けると信じられており、その馬を描いた色鮮やかな旗が、随所に登場する。牧草地を鉄の柵で仕切られ、中国政府によって移動を制限された遊牧民と、風になびく「ルンタ」とのコントラストが物悲しい。「現実を直視せよ」という焼身者の遺言が、広大な草原に響く。

 ダライ・ラマ14世は決して恨みを語らない。世界各地に抗議行動が広がった際にも、非暴力を説き、聖火リレーへの妨害行為などもたしなめた。僧侶たちによる「焼身抗議」も、その暴力性が他者に向けられることはない。もちろん焼身という抗議手段の是非はあるが、それを問う前に、その行為に込められた信仰者たちの無念さと矜持を思う。

 「私は一人の人間に過ぎない。神でも、まして(中国政府が言うような)悪魔でもない」とダライ・ラマは言う。カトリック教会におけるローマ教皇のように、精神的支柱、宗教的シンボルとしての存在がプロテスタント教会にはない。この違いは決して小さくない。

 祖国を追われ、苦難を味わった「契約の民」。かつて人として歴史を生き、反逆者として十字架にかけられたイエス・キリスト。聖書の説く「非暴力」と「平和」。いずれもチベット仏教を扱う映画だが、想起される共通のテーマは無数にある。

 

公式サイト:【ダライ・ラマ14世】http://www.d14.jp/、【ルンタ】http://lung-ta.net/

 

「Ministry」掲載号はこちら。

【Ministry】 特集「過疎と教会 今そこにあるキボウ」 25号(2015年5月)

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