言葉と本の学校「ベイト・セフェル」が開校 市井の学者らが集い語り合う場 2015年4月4日

 大阪市内繁華街の一角で人文学者たちが学問の窓を街場に開こうとしている。

 3月2日、アベノハルカスを望むミナミの中心地にあるサックス専門店・大阪サウンド風雅3階で「言葉と本の学校――ベイト・セフェル」が開校した。ベイト・セフェルとは、ヘブライ語で本の家、「学校」を意味する。

 校長と用務員を兼任するのはユダヤ学者の手島勲矢氏。そこに、哲学者ハイデガーの専門家であり神学博士である上原潔氏、内村鑑三の思想・文献研究の専門家である渡部和隆氏の両名が講師として加わる。ヘブライ語、ドイツ語、英語、日本語など古今東西の文献を、大学の外で市民と共に読んでいこうとする試みだ。講義等は試験的にリアルタイムでネット配信され録画も視聴できる(http://twitcasting.tv/beit_jp/show)。

 ベイト・セフェルの着想は手島氏のイスラエル留学時代の読書体験。皆で集まり、聖書の朗読に耳を傾けた経験が深く心に残った。以来、共に集まり東西の古典を読み、生きる意味について語り合う場所をつくろうと考えてきた。職場で出会った上原氏と渡部氏が加わったことで、ベイト・セフェルが始まった。

 講義は毎週月曜日の午後に約1時間ずつ3コマ行われ、日曜午後などにも開講する。

 平日に現役で働く人々が参加するのは難しいが、たとえば英語に悩む高校生や論文の書き方を知りたい大学生、また学生時代に聞いたことを思い出したい退職者も広く受講者として募集する。

 渡部氏は言う。「人文学はクズ拾いのようなイメージです。歴史の中で打ち捨てられた記憶や記録を拾い集めていく。そこには人間の思想としての倫理と実践、その努力の痕跡がある。でも現代社会はそれらを捨ててしまった。役に立つか否かというのは計量化できるどうかであり、それは誰にとっても分かりやすい、金になるか否かという経済的観点のみの価値観を増長させてしまいます」

 「歴史というのは物語としてしか語られないので、勝者だけの視点になってしまう。しかし人文学は、歴史の吹き溜まりに沈んでいるような言葉にならない破片を拾っていく仕事です。そういう作業が多様な視点をもたらします。無用に見えるものが長い目でみれば文化を保存することがあります」と上原氏。

 世界23億人がインターネットでつながるデジタル時代の人文学の葛藤を、手島氏は語る。

 「ユダヤ人は、安息日には読み、語り、歌う。その宗教的伝統が、文化と生活の型を形成し、その中で聖書を読むことを可能にしてきた。しかし、現在、イスラエルでも欧米でも人文学の衰退が世界的な傾向です。インターネットという仕組みがあるからこそ世界に発信できるが、急速に変化し続ける世界に対して、今までのあり方では対応できないというのが実情です」

 人文学は無用として切り捨てる政府方針がある一方、忘れ去られたものから歴史をひも解き、深い自省の中から言葉を紡ぎ、未来の公共を創造しようとする市井の学者たちがいる。人間が人間であることを諦めない人文学者たちの挑戦が、今始まった。詳細はホームページ、またはツイキャス録画(http://beitsefer.jimdo.com/)を参照。

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