「大いなるもの」なしにケアできず 日本哲学会大会シンポに髙木慶子氏ら 2015年6月13日

 日本哲学会(飯田隆会長)の第74回大会が5月16~17日、上智大学(東京都千代田区)で開催された。16日には同大学グリーフケア研究所との共催で、大会シンポジウム「ケア――共に生きる」が開かれた。髙木慶子(上智大学グリーフケア研究所特任所長=写真)、佐藤弘夫(東北大学大学院文学研究科教授)、浜渦辰二氏(大阪大学大学院文学研究科教授)の3氏が登壇した。

 グリーフケア、ターミナルケアに約30年携わってきた髙木氏は、「人知を超えた何ものかがない限りケアはできない」と強調。ターミナルケアを行う際、「死んだらどうなるのか」と99%の人から尋ねられるとし、それは人間のスピリチュアルな側面から発せられる問いではないか、と述べた。

 「ケアする方も、ケアされる方も人間。人間レベルで死や苦しみの意味を説き明かすことは無理」と、人間の限界を指摘し、「大いなるもの」との関わりなしに問題は解決しないと主張した。

 浜渦氏は髙木氏に対して、スピリチュアルペインを前にして、「共に苦しみ、ただ共にあることしかできない」ことに気付く時、修道女として何か捨てなければならないのではないか、と質問。髙木氏は、「捨てるものはない」と断言した上で、相手の幸せ、救いのために「手放す」ことはあるとし、自身が手放したのは「宗教の枠組み」だと主張。「捨てることよりも自分から手放すことで、もっと広い枠組みに自分を置くことができたと思う。『カトリック以外に救いはない』のではなく、カトリックの信仰よりもっと大きい方が救ってくださる」と持論を述べた。

 司会の清水哲郎氏(東京大学特任教授)からの「『死んで終わり』でなぜ悪い」との問いかけに対して髙木氏は、「本当にそれで平安に亡くなることができるか」と質問を返した。

 髙木氏は、死を前にした人から「向こうで先祖、あるいは仏、神が待っていると信じてよいか」と尋ねられる時、「わたしはそう信じている。確信を持っているから、だまされたと思って信じてください」と答えているとし、尊敬と信頼関係があるからこそ自分の確信を伝えることができるのだと強調した。

 

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