カトリック誌「あけぼの」 60年の歴史を回顧 2015年6月13日

執筆者ら招き感謝ウィーク

 カトリックの聖パウロ女子修道会(東京都港区)が発行する月刊誌「あけぼの」が、創刊から60年目を迎えた今年、4月号をもって休刊した。5月には特別編集の感謝号=写真右=が発行されたほか、これまでの歩みに感謝する「あけぼの感謝ウィーク」として、表紙絵の「原画展」、対談、講演が催され、長年にわたる同誌の役割を振り返りつつ、執筆者、編集者、普及・点字・音訳などに携わった関係者の労をねぎらった。25日にはシスターが聖堂に集まり、同誌への思いと共に別れの祈りをささげた。

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 聖パウロ女子修道会は第一次大戦勃発後の1915年にイタリアで設立され、週刊新聞の発行を皮切りに、出版、映画、ラジオ、テレビなど、さまざまなメディアを駆使した宣教に挑戦してきた。

 日本では戦後48年に活動を開始。56年に創刊された同誌は、女性の視点から毎月のテーマに沿って編集され、他のカトリック雑誌と比べても異色で、信者か否かを問わず、その時々に応じたゲストや執筆陣が誌面に登場し、幅広い読者からの支持を得ていた。60年の間には、作家の遠藤周作をはじめ、やなせたかし、淀川長治、阪田寛夫、相田みつを、安岡章太郎、塩野七生といった著名人も原稿を寄せている。テーマも出産、育児、結婚、介護、老いといった女性誌ならではのものから、地球環境や平和、教育の問題などまで多岐にわたった。

 休刊に至る背景には、深刻な「後継者不足」がある。カトリック系出版の担い手であるシスターの高齢化が著しく、緒方真理子さんが編集長になった1989年以来、今日まで世代交代ができずに来た。あるシスターは、「教会で奉仕したいという方はいても、今どき結婚しないで生涯をささげるという女性はなかなか……」と語る。

 

山田太一氏 感受性の破壊に警鐘

(左から)山田太一と矢代朝子の両氏

 「感謝ウィーク」の5月16日には、同誌でもたびたび執筆してきた脚本家の山田太一氏と女優の矢代朝子氏が聖堂で対談。

 この日は、安全保障法制の関連法案が臨時閣議で決定した直後だったこともあり、話題は政治の問題にも及んだ。

 山田氏は、終戦前に学校の教師から「もうすぐ画期的な爆弾が発明される」と聞かされ、クラス中で喜んだ経験を披露。「子どもながらに、『1人でも多くのアメリカ人が死ねばいい』と興奮していた場面を思い出すと、何とも言えなくなる。戦争は、始まってしまえばどうしても敵が憎くなるんです一歩間違えば、こちらが先に原爆を落としていたかもしれない」と述懐した。

 安倍晋三首相が「謝らない」と明言していることについては、「不思議でしょうがない」とし、「中国・韓国に限らず被害にあった人たちがいるのに、謝って何が悪いんだろうと。当時、生まれていない世代なので本当に悪いと思っていないのではないか」とし、「原発はコントロールされている」「アメリカの戦争には巻き込まれない」と断言していることについても「嘘ですよ」とバッサリ。

 矢代氏はアメリカ滞在時、つい先日まで戦場で銃を撃っていたというクラスメートがおり、戦争が日常と隣り合わせにある現実に衝撃を受けたことを振り返りつつ、20代の彼らが「絶対に戦争は嫌だ。二度と行きたくない」と明言していたことも紹介した。

 現代の病理として、広い意味での文学的視点や人間に対する幅のある洞察力が脆弱になっていると指摘。文明の急速な進歩と「速さ」「便利さ」を追い求める風潮によって、人間の感受性が破壊される危険性にも警鐘を鳴らした。

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 22日には、元朝日新聞記者の伊藤千尋氏が「活憲とヒューマンライツ」と題して講演。自身が訪れたコスタリカ、ドイツ、アメリカ、韓国、ベトナム、沖縄での話を織り交ぜながら、平和と自由を考える上でのヒントを提示した。23日には、横浜教区司祭の山口道孝氏が講演。恩師の言葉「苦しむ人、人並みの権利を持っていない人に冷淡であるなら、わたしたちが何を語ろうとそのメッセージは空しい。心の中に愛を持っていないからだ」と合わせて、教皇フランシスコの言葉「全世界のキリスト教の教会と施設は、社会の前戦の野戦病院であるべきだ」を紹介した。 

バックナンバーと共に展示された直筆原稿など

新たな表現と交わりのかたちを

 聖パウロ女子修道会管区長の松岡陽子氏は感謝号で、「月刊誌というメディアはその働きを終えるとしても、初めから私どもを駆り立ててきた思いは引き継がれなければなりません。そして新たな表現と交わりの形を見いだしていくことでしょう」と綴っている。

 学生時代に遠藤周作編集の「三田文学」に参加し、2013年まで編集長を務めた作家の加藤宗哉氏は、同号の「あけぼの」編集長インタビューで、「毎月こういう雑誌が家庭に届くということの積み重ねは大きいですね。だから『あけぼの』がなくなるのは寂しいけれど、……神の媒体とは違った道もあるから、また新たなる『あけぼの』ができてくるということなのかもしれないですね」と語る。

 シスターたちの新しい模索が、始まろうとしている。

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