〝癒しの旅路〟の継続訴え マイケル・ラプスレー司祭来日 アパルトヘイト撤廃に献身 2015年7月4日

 南アフリカのアパルトヘイト撤廃運動に献身し、1990年、手紙爆弾に遭って両腕と片目を失った聖公会司祭のマイケル・ラプスレー氏が、6月9日から14日にかけて初めて来日した。9日は聖公会神学院(東京都世田谷区)で「記憶の癒し――アパルトヘイトとの闘いから世界へ」と題して公開講演を行い、11日には被爆地・広島も訪問。壮絶な体験を経て今があるマイケル氏だからこそ感じる、戦後70年を経た日本が今なお抱える心の傷に寄り添い、現代の日本人にとっても「継続的な癒しの旅路」が必要であることを訴えた。 

爆弾で両手、片目失う

 9日の公開講演には、教会関係者をはじめアパルトヘイト問題に関心のある一般の人ら約60人が参加。竹内一也氏(日本聖公会横浜教区司祭)の通訳を介して語られるラプスレー氏の講演に耳を傾けた。

 同氏はまず、手紙爆弾が炸裂し、両手と片目を失った25年前の瞬間を振り返り、「耐え難い痛みの中で、『それは爆弾だ。開けるな』というのではない神、わたしたちの旅路に同行するけれども決して踏み込んでくるのではない神が共にいてくださる、という感覚を持った」と回想。

 さらにその数年後、アパルトヘイト体制下の南ア政府側が、同氏を「殺害予定者リスト」に入れていたことを知った時点の思いに触れ、「それでもわたしは生きているのだから、彼らは失敗したのだと認識した。勝利はすでにわたしのものだった」と笑顔で語った。

 「身体の一部を失うことは、愛する人を失うことにも似ている。わたしは両手と片目を失ったことをいつまでも嘆き悲しむでしょう」と障害とともに歩む辛さも強調。その辛さを、イザヤ書のイメージに基づいて描かれた「片方の足がもう一方の足より短い主イエス」のイコンになぞらえ、「すなわちメシアは人々が顔を背けるほど外観を損ねていた。わたしも主要な身体的損傷を甘んじて受け入れることとなったが、それによって、障害を持ち、壊れていること、決して完全ではないことが人間の基準であるという結論に達した」と述べた。

 そして、手紙爆弾を作った人に対しては、「わたしへの爆弾攻撃が報じられた日、彼らは何を感じただろうか。わたしを打ちのめした満足だろうか。それとも、わたしがまだ生きていることへの苛立ちだろうか。彼らの恋人や家族は、彼らが何をしたか知っているのか。あるいは今なおそれは罪深い秘密なのだろうか」と切々たる思いを吐露。その〝犯人〟や指揮系統について明らかにするよう、アパルトヘイト政権下で何があったかを追求する「真実と和解委員会」で要望し続けていることを明かした。

「許しの鍵 喜んで開ける」

 その上で、ラスプレー氏は「彼らはこの25年間、どのように生きてきただろう」と思いを馳せ、「もし彼らが自分たちのしたことの故に魂の中に閉じ込められているなら、その鍵を握っているのはわたしであり、喜んで鍵を開けましょう」と強調。時々、想像するという彼らとの出会いを次のように再現してみせた。

 「わたしがドアをノックするとそこに立っている人が『わたしがあなたに爆弾を送りつけた者です。わたしを許してくださいますか?』と言い、わたしは『あなたは今でも手紙爆弾を作っていますか?』と尋ねます。彼は『いいえ、作ってはいません。わたしは赤十字の子ども病院で働いています。わたしを許してくれますか?』と言います。そしてわたしは『ええ許します。これから50年間あなたが牢屋に閉じ込められるのでなく、その病院で働くことを望みます。わたしは罰による正義よりも回復による正義を千倍も信じていますから』と答えます。わたしたちは一緒にお茶を飲み、そしてわたしはこう言うでしょう。『我が友よ、わたしはあなたを許します。しかし、わたしには今でも手がありませんし、目も一つしかありません。残りの生涯、常に誰かの助けを必要とするでしょう』と」

 この想像を同氏は、「なぜ誰も責任を認めないのか。牢獄を避けるためなのか。それで彼らは夜よく眠れるのだろうか。冷や汗をかいて目をさましているのではないだろうか」と締めくくり、聴衆に「許す」ということの重さと難しさ、苦しさを突きつけた。

 自身の〝癒しの旅〟を語った後、現代の日本について、「地震(東日本大震災)と福島で起こったことを通してこの国が経験した痛みとトラウマの大きさを思う。このことは次世代にも受け継がれるでしょう」と言及。

 さらに戦後70周年に際して日本聖公会が発表した「日本の軍事化への責任を分かち持っている」とする声明を高く評価し、「わたしたちは互いの痛みに耳を傾け、なされたことが悪であることを認めなければいけない。癒しが始まるのは国の歴史と、自分たちの親や祖父母に起こったことが道徳的および霊的障害と同じく世代を超えたトラウマを引き起こしたと認めることができた時だ」と強調した。

 日本の戦後70年の歩みについては講演後に設けられた質疑の中でも語られ、ラプスレー氏は日本の憲法9条を「記憶の癒しの一部だ」と言明。「もう戦争はたくさん、わたしたちは平和のためにやっていくんだという平和憲法は、人類にとっても希望のしるしです」と微笑み、聴衆も大きくうなずいていた。
                            (取材 広末智子)

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