明治期キリスト者の神道理解を研究 京大でプロジェクトチーム発足 2015年9月19日

 明治期キリスト教指導者たちの神道理解について、研究と資料保存の構想が進みつつある。日本プロテスタント教会史を語る際、札幌・熊本・横浜の三大バンドをもって紐解くのは一般的であるが、それだけでは全体を把握できない。

 このほど日基教団信濃町教会の助成を受け、洪伊杓(ほんいぴょ)氏(神学博士・京大大学院キリスト教学)を中心にプロジェクトチームが発足し、特に、松山高吉(まつやまたかよし)の資料の収集・分析、デジタル化を行おうとしている。

 松山高吉は1847年、越後国(現在の新潟県・糸魚川市)に生まれた。京都で学び、江戸にて平田鉄胤から国学の手ほどきを受けた。国学者として世に出た後に1872年、28歳の時に神戸でD・C・グリーン宣教師より受洗し、キリスト教に改宗。新島襄らと日本基督組合教会、同志社の創立を主導し、聖書翻訳や讃美歌編纂をした中心的人物。後に同志社で神道や日本宗教史を講じ、その著作『日本の神道』『神道起源』などで、日本古来の「神」観念をキリスト教に結び付けようとした。

 1896年以前、海老名弾正が組合教会の神道解釈を主導するよりも前に、松山は活動した。50歳で聖公会へと移った後、89歳まで生き、歴史の波間に忘れられた。

 7月11日、京都大学(京都市左京区)で開かれた第14回京都基督教学会で洪氏は、「近代日本のキリスト者における神道理解の類型論」と題して発表した=写真。

 「日本のキリスト者の神道理解は時代と人物によって多様な様相を見せながら変遷してきました。類型化して考察することで、近代日本のキリスト教が持つ特殊性を具体的に究明できると思います」

 神道理解を軸に教会史をたどることは、批判的に日本のキリスト教と対峙する視点を可能にする。明治から戦後へと通じる日本的国家論、特に宗教観と天皇制の関係を含む当時の「神学」の解明となる。

 同プロジェクトには、松山高吉の玄孫にあたる聖公会の聖職候補生、松山健作氏(ウィリアムズ神学館)も参加している。

 

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