国会前に人の波 牧師、信徒らも連日参加 「安保関連法案」ヤマ場 2015年9月26日

和解と平和進める使命 約150人が為政者のため祈る

 安保関連法案をめぐる与野党の攻防が山場を迎え、国会前での抗議行動も日増しに熱を帯びている。8月30日、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と「SEALDs(シールズ)」が呼びかけた国会周辺でのデモには、雨天にもかかわらず約12万人(主催者発表)が参加。全国各地で同日行われた集会への参加者も合わせると30万人を超えると見られている。

 歩道を埋める人波の中には、「平和を実現するキリスト者ネット」「カトリック正義と平和協議会」の幟と共に多くの信徒や牧師、神父の姿も。幸田和生氏(東京教区補佐司教)=写真下=は、街宣車の上でマイクを取り、日本の教会が結果として戦争に協力した歴史への悔いを語った。

 翌9月1日には、参議院議員会館で開催された「9・1PMPM(Peace Makers’ Prayer Meeting)@国会2」に、キリスト者ら約150人が集まった。企画したのは、同法案について国会議員への要請を行う「特定秘密保護法に反対する牧師の会」のメンバーら実行委員会。7月13日に衆議院第一議員会館で125人を集めた第1回目に続いての開催となった。

 朝岡勝氏(日本同盟教団徳丸町キリスト教会牧師)による司会のもと、日基教団学生キリスト教友愛会主事で牧師の野田沢氏が開会祈祷。続いて登壇したのは、横浜市立大学3年で「SEALDs(シールズ)」のメンバーとしても活動する桑島みくにさん=写真下。

 「いま多くの若者が怒りを原動力に行動しているかもしれません。でも、わたしたちキリスト者は怒りに向かっているのではなく、希望に向かっているということを忘れたくありません。キリスト者は希望を抱き、希望を語る必要があると思います。『み国を来らせ給え』と祈るわたしたちが、いまの日本社会がどうあるべきか、み国を考えつつ行動したいと思います」と語った=ページ下部に抜粋。

 続いて、憲法学者の稲正樹氏(国際基督教大学客員教授)が「キリスト者、憲法研究者、日本の市民として安保関連法案にどう向き合うか」と題して講演。全能な神はすべてを支配しておられるのだから、福音と社会状況とを二分することは根本的な誤りだと述べ、キリスト者として和解と平和を進める使命を自覚することを勧めた。

 また、憲法学者の立場からは、「日本国憲法は市民革命の所産ではなかったが、戦後70年かけて市民は憲法のテキストを血肉としてきた。この未完のプロジェクトを次世代に継承する必要があるのに、現政権はそれを廃棄しようとしている」と述べ、権力者が恣意的に憲法解釈を変える現状は立憲主義の否定であり、法的な意味でクーデーター事態であると指摘。

 さらに、日本国民としては、安保関連法案が廃案にならなかったとしても「三位一体ならぬ三論一体(弁護士の弁論、研究者の理論、広範な国民の世論)が裁判所を動かして、違憲判決(安保関連法案の9条違反、平和的生存権違反)が出る可能性がある」ため、非戦を願う世論を維持し続けることが重要だと語った。

 ゴスペルシンガーの内藤容子さんによる賛美の後、参加者は2、3人のグループに分かれてそれぞれ祈り合った。

 参加者からは「桑島さんのスピーチに感動した」「キリスト者が共に祈ることが、希望を生み出す力になることを感じた」などの感想が聞かれた。(取材 栗山のぞみ)

 

光は闇の中でこそ役割果たす 横浜市立大学 桑島みくにさん

 

 クリスチャンの友人と共に祈る時、世との違いを決定的に感じるのは、権力者、政治家のために祈れるということです。安保法案に反対しながら、安倍首相をはじめとする政治家のために祈る人、その背後で動かしているアメリカの権力者のために祈る人、脅威とされているテロリストのために、北朝鮮や中国のために、祈る人がどれだけいるでしょうか。

 法案に反対する時、安倍政権は明らかに批判対象です。でも、議員さんの部屋に要請文を持って行って、やはりそこにいる人たちは生身の人間なのだと思ったのです。やっていることは憎むべきことかもしれない。でも、間違った方向に行かせてしまった教育や社会の責任もあるかもしれないし、やはりその人たちの心を動かさなければ法案は止まらない。イエス様が、敵をも隣人として愛することを勧めていることを思い返すと、何と大きな難しい教えなのかと思います。

 ……キリスト者は地の塩であり、世界の光であると聖書に書いてあります。教会やクリスチャン同士の交わりの中でそのみ言葉を聞くのは心地よいです。でも一歩社会に出た時、そのみ言葉がいかに大きな役割をわたしたちに与えているのか、感じることができます。

 ただ塩は塩同士で固まっていたって、光は昼間の明るいところで光っていたって、その役割を果たしません。塩は腐敗を止めるために塩を必要としているところに行くべきだし、光は暗闇の中でこそ役割を果たします。わたしたちキリスト者が、自ら社会に出て行く必要があります。

 しかし一歩、ひとりで踏み出した時、あまりの闇の深さに、腐敗のひどさに、めげてしまうことはないでしょうか。なるべく周りに合わせて、塩気のないように、光の目立たないようについつい生きてしまうわたしがいます。

 でも塩は1粒では塩気を発揮できないし、光はろうそく1本では吹き消されそうになったり、深い闇に飲み込まれてしまいます。物理的には何人ものキリスト者といつも同じ地に立つことができないけれど、祈りは、どこにいてもできる。神さまは偏在するお方だから、どこにいても、聴いてくださる。ひとりが社会の痛みの中に立つ時、祈りを通して、遠くにいても、ともに塩気をきかせたり、光となることができる。何と感謝なことでしょうか。(スピーチ原稿より抜粋)

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