戦後70年企画連続インタビュー■7■ 手束正昭氏(「日本民族総福音化運動協議会」総裁)「現実的平和主義」を求めて 2015年11月7日

 本紙創刊から7年目の1953年に掲げられた本紙標語「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」は、その後も変わることなく題字と共に掲載されてきた。戦後の安全保障をめぐり大きな転換点を迎えた70年目の日本。この国と教会の行方を識者に問いつつ、キリスト教ジャーナリズムのあり方を読者と共に模索する。7回目は、日基教団高砂教会の牧師として長く牧会に従事し、独自の立ち位置から発言を続ける手束正昭氏。

憲法9条は聖書的

 ――戦後70年を振り返って思うことは?

手束 70年という歴史的な転換期を迎えたと思います。聖書的にはバビロン捕囚から解放された70年と捉えています。70年の節目に、これまでの戦後の日本においての歴史は、「精神的なバビロン捕囚」であったと感じておりました。それは、GHQによって「日本は悪い国だ」「侵略国家だ」「犯罪国家だ」と刷り込まれ、マスコミもそうですし、日本人がそういう思いの中で、罪責感と、低いセルフイメージの中に、閉じ込められてきた。そこから精神的に解放される時が来たと思っております。

 長い年月の中で、日本人もだんだんそのことに気付き始めて、最近は書店に行ってもその類の本が沢山出てきております。キリスト教界の中では、例えば、『日本宣教の突破口』を出版し、3年目を迎えました。著書に対するさまざまな反響があり、キリスト教界でも、少なからず今までの「謝罪、謝罪」という考え方は違うのではないかという気づきが起きている。そういう意味で、「精神的バビロン捕囚」からの解放と申し上げたいですね。
                             
――本紙が「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」という標語を掲げてきたことについて。

手束 例えば、憲法9条を見れば、とても聖書的ですよね。聖書の平和主義に則っていますよね。ところが、櫻井よしこさんというジャーナリストが、憲法の草案を作ったチャールズ・ルイス・ケーディスとお会いした時、彼は日本において憲法がずっと護られてきたことにたいへん驚いたそうです。つまり、作った本人が、当時の憲法を今に至っても日本人が後生大事に護っていることに、びっくりしたというのです。「山上の説教」のようにあまりにも浮世離れしているので、すでに改正されていると思っていたのでしょう。それは、日本人の素直さ、そして、戦争で大打撃を受けたことの挫折感と、もう戦争はいやだ、軍隊はいらないという思いがあるからだと思うのです。

 70年間、日本人はずっと、憲法9条を金科玉条にしてきたのではないでしょうか。憲法さえあれば平和を護れる、と信じ続けている。憲法9条というのは、確かに、聖書的に正しいと思うのです。ただ、それは「空想的平和主義」と言えるのではないか。

 いくつものマスコミが、安倍政権が戦争をしようとしている「戦争法案」だと報じています。どうやって国を護るか、ということに対して、安倍内閣はアメリカとの協力関係を強め、中国の帝国主義的なあり方を防ぎ、「現実的な平和」を模索しているのではないか。そこにも焦点を当てないといけない。

 安倍政権は、いわゆる「現実的平和主義」を目指しているのだと思います。わたしたちが、帝国主義を強力に推し進めようとしている中国への備えをどう考えるかです。憲法9条があるから、平和……これは、果たして現実的な考えでしょうか。もし、日本がこれまで「現実的平和主義」をとらなかったらどうなっていたかを考えますと、沖縄も含めて日本は中国の領土になっていたのではないか。今の日本があるのは、「現実的平和主義」の所産であると、わたしは思うわけです。

 キリスト新聞が「平和を護れ」というスローガンを掲げること自体は良いと思いますが、「平和憲法を護れ」ということになると、どうでしょうか。「本当にそれで平和を護れますか」とわたしは問いたいのです。

罪の糾弾から神の愛へ

――今後の教会のあり方についてご提言を。

手束 一部の教派の総会などでは、政治的な決議をやたらとする現状があります。すべてが悪いとは思いませんが、避けるべきだと思っています。というのは、政治というのは、いろいろと裏側があるわけですよ。政治の素人である我々が、一部のメディアの言うことを鵜呑みにして、偏った議論にのっかってしまうのは、危険だと思います。教会に対する弾圧が起きているとなれば、それはとことん議論し、行動に移すべき問題だとは思いますが……。

 わたしたちはとにかく宣教に打ち込むべきです。今まで、日本人は素直な国民ですから、いわゆる「東京裁判史観」を受け入れ、自虐史観というものにとらわれてきたのではないでしょうか。そのため、深い罪責感を植え付けられて、セルフイメージが低くなって、それが蔓延してきた……。犯罪とセルフイメージの低さとは関係性が認められています。時々、海外の方から、日本人は素晴らしいのに、セルフイメージが低いという意見を聞くことがあります。どこに原因があるかというと、日本人が日本に対して、また、日本が行う事柄に対して、誇りをもてないからなのです。

 北風と太陽の例え話を思うのですが、北風のように、教会が日本と日本人を糾弾するのでは、ますます人々はマントを固く身に付けるのではないでしょうか。太陽の光に照らされた時に人々は心を開く。日本の過去の罪の糾弾という伝道のやり方でよいのか。むしろ、離反を生むのではないか。

 いかに神さまが日本を愛し、恵みを注いでいてくれていて、どれだけそれが必要とされているか。それを語る時ではないか。それが福音の前進ではないか。そうすれば、多くの心が開かれるのではないでしょうか。神さまはわたしたちを愛してくださっている。待っていてくださっているのです。

――ありがとうございました。(聞き手 友川恵多)

 てづか・まさあき 1944年中国上海生まれ。69年関西学院大学神学部修士課程卒業。73年日本基督教団高砂教会に就任。現在「日本民族総福音化運動協議会」総裁、「聖霊刷新協議会」顧問、「日本を愛するキリスト者の会」副会長。著書に『キリスト教の第三の波(正、続、余)』『命の宗教の回復』『聖なる旅(正、続)』(キリスト新聞社)、『日本宣教の突破口』(マルコーシュ・パブリケーション)など。

 

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