いのちなきところ正義なし 聖エジディオ共同体が死刑考えるシンポ 2015年11月14日

 カトリック信徒団体の聖エジディオ共同体(本部=ローマ)による、共に死刑を考える国際シンポジウム「いのちなきところ正義なし2015」が10月22日と24日に東京で行われた。22日は「司法と人権――死刑のない社会に向けて、対話する世界と日本」をテーマに衆議院第一議員会館で、24日は「現代社会における人間のいのちの価値」をテーマにイタリア文化会館で開催された=写真。

 24日のシンポジウムでは、アルベルト・クァットルッチさん(聖エジディオ共同体「人々と諸宗教」事務総長)が、「死刑宣告を受けた者が犯した罪がいかに重いものであっても、今日では死刑は許されるべきものではない。生の不可侵性と人間の尊厳を冒涜するものだからだ」と開会の辞を述べた。

 マリオ・マラッツィーティさん(イタリア共和国議会人権常任委員会委員長)の講演、写真家トシ・カザマさんの基調報告などに続き、「宗教者たちの思い」と題して、カトリック、真宗大谷派、大本、創価学会の参加者がコメント。

 イエズス会司祭のホアン・マシアさんは、死刑が執行されるたびに法務大臣宛に抗議声明を送付していることに触れ、「国家の手で加害者を殺してしまえば加害者と同じことをすることになる」「死刑執行によって社会に復讐の精神が強められ、暴力の連鎖を断ち切ることができなくなる」と強調。死刑執行は犯罪人の悔い改め、償い、更生の機会をなくしていると主張した。

 また、死刑制度のある社会にあって、いのちの大切さを次世代に教えていくことができなくなることを危惧。復讐の精神ではなく、「修復する正義」「癒す正義」「赦し合いを含む正義」を世論に訴えていくように努めていきたいと話した。

 シンポジウムを総括した宮本弘典さん(関東学院大学法学部教授)は、「わたしは文書の上、学問の上で刑罰を考える法学者であるが、現実に今自分の生きている社会にまだ死刑が残っているということに対して、深い絶望感と鋭い嫌悪の感情を隠しきれない」と述べ、「死刑は極めて不道徳な制度。この社会に芽生える良心の芽すら奪ってしまう制度」だと訴えた。

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